Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

エゴン・シーレ展(2)

2023年02月15日 | 美術
 現在開催中のエゴン・シーレ展。2月3日にシーレの「ほおずきの実のある自画像」と「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」に触れた。シーレの他の作品にも触れたい。

 わたしがもし本展のシーレ作品の中から好きな作品を3点選ぶなら、上記の「ほおずきの実のある自画像」と「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」の他に「頭を下げてひざまずく女」(画像は本展のHP↓に掲載されている)を選びたい。ピンク色を主体に色付けされたデッサンだ。前のめりに倒れたような不安定な姿勢の女性を後ろから描いている。顔は見えない。服がめくりあがり、臀部が露出している。背景も影も描かれていない。女性はなにをしているのか。

 わたしが本作品に惹かれるのは、たしかなデッサン力と女性の存在感と、そしてもうひとつは、その女性はなにをしているのかという謎のためだ。

 本作品と並んで何点かのデッサンが展示されている。その中に「しゃがむ裸の少女」という作品がある。その作品は青色を主体に色付けされている。少女は両ひざを抱えてしゃがんでいる。顔はこちらに向けている。デッサン力も女性の存在感も「頭を下げてひざまずく女」と変わりないが、なにをしているかはよくわかる。

 繰り返すが、「頭を下げてひざまずく女」はなにをしているのか。シーレの作品には、男女を問わず、自慰の姿を描いた作品がある。「頭を下げてひざまずく女」もそうなのか。かりにそうだとしても、隠微な感じはしない。むしろ湧きおこる生命の力を感じる。

 シーレの作品ではもう1点、「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」にも惹かれた。最初みたときには抽象画だと思った。それほど、なにを描いているのか、つかめなかった。作品名を見たときに、ああそうかと思ったが、それにしても異常な点がある。たしかに荒野に立つ1本の木が強風に吹かれて大きくたわむ様子が描かれている。でも、そのたわみ方が尋常ではないのだ。大きな鉤のような形になっている。実景ではありそうもない。

 先日、AERA BOOK「エゴン・シーレ展」(朝日新聞出版発行)を読んで謎が解けた。そのたわみ方はセガンティーニの「悪い母親たち」から来ているようだ。「悪い母親たち」はウィーンのベルヴェデーレ宮殿の美術館に展示されている。アルプスの雪原に一本の枯れ木が立ち、その枝に半裸の女性が絡まっている。堕胎の罪を犯した女性だそうだ。不気味だが、美しい。セガンティーニの傑作のひとつだろう。同美術館はクリムトの「抱擁」が有名で、わたしも圧倒されたが、それ以外では「悪い母親たち」に強い印象を受けた。シーレは当然知悉していただろう。「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」はウィーンが生んだ作品だ。
(2023.1.31.東京都美術館)

(※)本展のHP
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