Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/日本フィル

2024年04月14日 | 音楽
 下野竜也が指揮する日本フィルの定期演奏会。1曲目はシューベルトの交響曲第3番。なんて明るく軽い音だろう。ステージの照度が一段上がったようだ。下野竜也も日本フィルも、いつの間にかこういう音が出せるようになったのだ。加えて、フレーズの区切りが明確で、呼吸感がある。それは若いころからの下野竜也の美質だ。それが柔らかく、ニュアンス豊かになってきた。結果、チャーミングなシューベルトが繰り広げられた。個々の奏者では、第3楽章のトリオでオーボエの杉原さんとファゴットの田吉さんが好演した。それは演奏全体に華を添えた。

 2曲目はブルックナーの交響曲第3番(1877年第2稿、ノヴァーク版)。弦楽器は1曲目のシューベルトが12型だったのに対して16型に拡大された。そうか、1曲目のシューベルトが軽い音だったのは、2曲目のブルックナーと対比をつけるためだったのかと、わたしは浅はかにも考えた。だが、そうではなかった。下野竜也と日本フィルは、ブルックナーでもシューベルトの延長線上のように軽く明るい音で、細かなニュアンスをつけた演奏を始めた。けっして先を急がず、じっくり進める。細かいディテールを一つひとつ積み上げる。第1楽章コーダでも見得を切るような演奏をしない。

 第2楽章では(当日の演奏は第2稿によるので)第3稿にはない部分が出てくる(その結果、方向感を見失いそうになる)。その部分を含めて、ていねいに音をたどる。繰り返すが、けっして先を急がない。

 第3楽章スケルツォでは、さすがに前2楽章と対比をつけて鋭角的な演奏をするかと思いきや、さほどでもない。むしろペースを崩さない。だが(ノヴァーク版なので、最後にコーダがつくが)コーダで目の覚めるような激烈な演奏をした。効果的だ。

 第4楽章は(第2稿なのでコーダに至るまでに多くのプロセスを踏むが)個々のプロセスをじっくりと、ていねいにたどる。それは前3楽章と変わらない。それがいつの間にかオーケストラが轟然と鳴る演奏に推移した。最後は驚くばかりに充実した音で圧倒的に鳴った。

 全体的に見事な設計だった。下野竜也は若いころに「聴いてくださるかたに、今日の音楽は良かった。オーケストラも良かった。指揮は下野という人だった、といわれるようになりたい」といっていた。第一に音楽、第二にオーケストラ、自分はその次でいいという意味だ。音楽の中に、そしてオーケストラの演奏の中に、自分を消し去る。そのとき初めて音楽が姿を現す。下野竜也はほんとうにそういう指揮者になってきた。それは意外に日本人的な美学かもしれない。
(2024.4.13.サントリーホール)

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