Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ドルフマン「死と乙女」

2024年01月11日 | 読書
 チリで軍事クーデターが起きたのは1973年9月11日(「チリの9.11」といわれる)。2023年はクーデター発生後50年だった。チリではクーデター後、民主化を求める人々への弾圧が続いた。チリの作家、アリエル・ドルフマンの「死と乙女」(↑)は弾圧をテーマにした戯曲だ。

 登場人物はわずか3人。40歳前後の女性・パウリナは軍事政権当時、地下組織のメンバーだった。軍事政権の拷問をうけた。民政移管された今でも拷問の記憶がトラウマになっている。40歳過ぎの弁護士・ヘラルドはパウリナの夫だ。パウリナとともに地下組織のメンバーだった。パウリナが口を割らなかったので、逮捕を免れた。今は新政権のもとで、軍事政権が行った弾圧の調査委員会のメンバーになっている。3人目の登場人物は、50歳前後の医師・ロベルトだ。パウリナは拷問のあいだ、目隠しをされていたので、拷問者の顔を見ていないが、ロベルトの声を覚えている。パウリナはロベルトが拷問者のひとりだったと確信する。パウリナはロベルトに詰問する。ロベルトは否認する。

 パウリナはロベルトに復讐するのか。いや、真実を語らせようとする。ロベルトを罰するか、赦すか、それは二の次だ。まず真実を語れ、と。だがロベルトは否認する。ヘラルドは弁護士としてロベルトの人権にも配慮しようとする。ヘラルドの態度は正しいかもしれないが、パウリナの傷は癒されない。

 軍事政権による弾圧はチリだけではなく、カンボジアでも、ミャンマーでも、そして日本でも起きた。日本でも特高警察に拷問された人々がいる。他人事ではない。

 拷問の被害者・パウリナ、拷問の加害者・ロベルト、後日調査するヘラルドの3人は、弾圧をめぐる関係者の3つの典型だ。被害者は加害者に、まず事実を認めろと迫る。加害者は否認する。後日調査する者は、中立性を保とうとする。それは正しい立場だろうが、無力かもしれない。結果、どうなるか。被害者は加害者が平然と暮らす市民社会に生きなければならない。たとえば戦後のドイツがそうだった。強制収容所から生還したユダヤ人は、ナチスだったドイツ人が暮らす社会に住まなければならなかった。日本でもそうだ。特高警察の拷問にあった人々は、特高警察の一員だった人々が素知らぬ顔で暮らす社会を生きなければならなかった。

 題名の「死と乙女」はシューベルトの弦楽四重奏曲の曲名だ。ロベルトは拷問の際にカセットテープで音楽をかけた。その中に「死と乙女」があった。本書を訳した飯島みどり氏は「訳者解題」でイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターの言葉を引用する。「拷問者が音楽好きで自分の子供たちには非常にやさしい人間だという事実は、二十世紀の歴史を通じて明白に証明されて来ました。」と。拷問と音楽。あまり考えたくないテーマだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 井伏鱒二「黒い雨」 | トップ | 沖澤のどか/東京シティ・フィル »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書」カテゴリの最新記事