Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

須賀敦子詩集「主よ 一羽の鳩のために」

2018年04月03日 | 読書
 須賀敦子(1929‐1998)の作品を読み続けていた3月中旬に、某新聞の文化欄に、若き日の須賀敦子の詩が見つかり、出版されるという記事が載った。須賀敦子に没頭しているまさにそのときの記事なので、これにはびっくりした。翌日さっそく書店に行ったら、新刊本のコーナーにその詩集はあった。

 今年は須賀敦子の没後20年。それを契機に、須賀敦子の全集を担当した編集者が、遺族から預かっていた遺品を整理したところ、ノートやタイプ用紙、和紙に書かれた詩が44編見つかった。須賀敦子は生前、自作の詩について語ったことはなく、また遺族もその存在を知らなかったという。

 書名になった「主よ 一羽の鳩のために」の詩句をふくむ詩は、「同情」というタイトルの詩(多くの詩にはタイトルが付いていないが、本作をふくめて何作かにはタイトルがある。同情という言葉は「共苦」という意味で解すべきと思われる)。

 場所はロンドンのヴィクトリア駅。つめたい秋の朝のラッシュアワーに、鳩の群れがパン屑をついばんでいる。青、灰、緑の鳩たち。その群れからはずれて、セピア色の一羽の鳩が、背に首をうずめて、じっとしている。

 須賀敦子はその鳩に呼びかける。「あァ/わらっておくれ/うたっておくれ/せめて みなにまじって/わたしを安心させておくれ。」そして、こういう、「いろがちがふからといって/なにも おそれずとよいのだ。」と。

 一羽だけ色の違う鳩は、須賀敦子自身のメタファーだろう。本作には1959年9月7日の日付がある。当時の須賀敦子の心象風景が投影されていると考えていい。須賀敦子にはいつも多くの友人がいたが、そのことと「一人でゐるといふこと」(本詩集の巻頭に掲げられた言葉)とは矛盾しなかった。

 今回発見された44編にはすべて日付が付いている。それは1959年1月19日から同年12月までの間。須賀敦子は1958年8月末に日本を発ち、パリを経由して、ローマの大学で聴講を始めた。1959年8月にはロンドンへ旅行し、エジンバラまで足を延ばした後、10月にローマへ戻っている。1960年1月にはペッピーノと出会い、9月にミラノに転居(同月にペッピーノと婚約し、翌年11月に結婚)。

 44編の詩はペッピーノと出会う前の須賀敦子の姿を、その詩句にとどめている。上に引用した詩もそうだが、どの詩も平明で透明な言葉で書かれ、そこに須賀敦子の若い感性がふるえている。

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