Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

エメリャニチェフ/読響

2024年09月06日 | 音楽
 マクシム・エメリャニチェフが読響の定期演奏会に初登場した。エメリャニチェフはすでに東響と新日本フィルを振ったことがあるそうだ。先ほど東条先生の「コンサート日記」を検索して知った。わたしには未知の指揮者だったが、昨夜の聴衆の多くはエメリャニチェフを知っていたのかもしれない。

 プロフィールによると、エメリャニチェフは1988年ロシア生まれ。モスクワ音楽院でロジェストヴェンスキーに師事したとあるから、読響とは縁がある。指揮者としては古楽とモダンの両オーケストラを振っている。2025年にはスウェーデン放送響の首席客演指揮者に就任する予定。またチェンバロ奏者、ピアノ奏者としても活動している。

 ともかくユニークな指揮者だ。1曲目はメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」だが、大きくテンポを動かし、起伏を付け、あざといくらいに溜めを作る。読響との呼吸はいまひとつ合っていなかったが、それはリハーサル時間の関係だろう。

 2曲目は現代チェコの作曲家ミロスラフ・スルンカ(1975‐)のチェンバロ協奏曲「スタンドスティル」だったが、それは後回しにして、先に3曲目のシューベルトの交響曲第8番「グレイト」に触れると、「グレイト」はエメリャニチェフと読響の呼吸が合い、エメリャニチェフの個性的な音楽が完成度高く表現された。全体的にテンポが速いが、音楽が変化する局面では(たとえば第1楽章で第2主題に移るときとか、第2楽章で主要主題部から挿入部に移るときとかでは)テンポをぐっと落とす。音楽が止まりそうなくらいだ。エメリャニチェフはそのようなテンポの変化を全身で表しながら、音楽にものすごい熱量を注ぐ。沸騰する湯水のようだ。

 そのような演奏スタイルはどこから来るのだろう。わたしが連想したのはクルレンツィスだ。わたしがクルレンツィスを経験したのは一度だけ。2017年のザルツブルク音楽祭でムジカ・エテルナを率いたモーツァルトの「皇帝ティトの慈悲」の上演を観たときだ。それは衝撃的な演奏だった。その経験に似ている。

 2曲目のスルンカのチェンバロ協奏曲「スタンドスティル」も衝撃的だった。チェンバロが速射砲のように細かい音型を繰り出す。それはオーケストラにも伝播する。目まぐるしく音が交錯する。音は濁らずに澄んでいる。それはチェンバロの極細の音のためだろうが、同時にオーケストラの中の2台のマリンバと1台のヴィヴラフォンの音のためでもある。傑作なのは3枚のアクリルシートだ。見事な“楽器”だ。チェンバロ独奏はマハン・エスファハニ。大変な名手だ。アンコールに弾いたパーセルとラモーは一転して胸にしみるような演奏だった。
(2024.9.5.サントリーホール)
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