Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

宮本常一「塩の道」

2018年09月26日 | 読書
 宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだわたしは、その広大な世界に惹かれたので、他の作品も読んでみたくなった。多くの作品が出ているが、その中から「塩の道」(講談社学術文庫)を選んだ。

 本書には表題作の他に「日本人と食べもの」と「暮らしの形と美」が収められている。どれも講演録で「一般の人を対象にしたもの」(田村善次郎氏の解説)なので、噛んで含めるように、平明に語られている。しかも「最晩年に行なった講演」なので、宮本常一の最後の時期の日本人観が垣間見えて興味深い。

 まず「塩の道」だが、糸魚川沿いの「塩の道」は聞いたことがあるが、それ以外にも全国各地に「塩の道」があったようだ。なるほど、生活の必要からいえば、たしかにそうだろうが、わたしは今までそんなふうに考えたことがなかった。本書では三陸地方その他の「塩の道」が紹介されている。

 おもしろいのは、それだけではなく、次のようなことだ。塩を運ぶには馬よりも牛を多く使った。「この牛は、中山道のような広い街道は通らないで、それに沿うた細道を歩いています。腹が減ったかなと思うと途中で牛を止めて、草の多いところでそれを食わせるので餌代が助かる。と同時に牛はそれを喜ぶのです。」

 わたしはそれを読んで、旅人が行き交う中山道のそばで、草むらや立木が生い茂る中を、牛を引いた男が歩く姿が目に浮かんだ。テレビや映画や、あるいは歴史書にはあまり描かれない姿だ。たしかにそういう姿があったのだろう。中山道とそれに沿う細い道(塩の道)との二重構造が、当時の社会の実相だった。

 「日本人と食べもの」にも興味深い話が多かった。それを紹介してもキリがないが、一つだけ例をあげると、戦国時代は100年ほど戦争が続いた。でも、人口はあまり減らなかった。それは戦争をしている人たち(武士の社会)と食べものを作っている人たち(農民の社会)とが別々だったからという話。

 この話には宮本常一の日本人観がよく出ている。日本の社会はけっして単一のものではなく、いくつかの要素が重層しているという見方、そして性質的には平和な面を有しているという見方。だが、宮本常一自身、日本人のその性質が崩れる危険性を予感している。わたしはハッとした。

 「暮らしの形と美」にも興味深い話があった。もう引用は止めるが、わたしはそれらを通して、宮本常一が心に抱いた日本人観の優しさにうたれた。

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