Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2018年09月29日 | 音楽
 カンブルランらしい多彩なプログラム。来年4月以降はこういうプログラムが姿を消すのだろうか。そうだとすると寂しい。

 1曲目はペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」。冒頭の不協和音が美しい。以降の点描風な箇所も、巨大なクラスターの盛り上がりも、どこか理知的で、繊細な神経が通っている。けっして情念の音楽ではない。今まで聴いたこの曲の演奏の中では一番透明な演奏だった。

 2曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏は諏訪内晶子。存在感十分の演奏。諏訪内晶子の演奏には、納得できるときと、できないときとがあり、実のところ、納得できないときも多いのだが、今回はよかった。濃厚なオリエンタリズムと官能性、一筋縄ではいかない複雑な構成が、彼女の音楽性に合っているのかもしれない。

 アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番から第1楽章が演奏された。グレゴリア聖歌の「怒りの日」が何度となく引用される本作は、この日のプログラム全体のコンセプトにふさわしい。その選曲の妙は諏訪内晶子ならではだ。

 3曲目はゲオルク・フリードリヒ・ハース(1953‐)の「静物」(2003)。静物とは絵画の静物画の静物だが、曲はむしろ動的だ。全3部に分かれているが、切れ目なく演奏される。第1部では奇妙な音塊が浮遊する。柴辻純子氏のプログラム・ノーツの言葉「エッシャーのだまし絵の螺旋階段のような効果」を思い出した。それはハースの前作「イン・ヴェイン」(2000)を評した言葉だが、本作にも当てはまる。

 第2部では「すべての楽器が16分音符のリズムを刻み、グリッド状のリズムが作られる」(同)。一言でいって、格好いい音楽。体が揺れる。

 第3部では「長い音価の自然倍音列による異なる二つの和音は重なり合い、響きのずれを生み、独特のうねりを作り出す」(同)。スペクトル楽派の面目躍如の音楽。ジェラール・グリゼーの「音響空間」を彷彿とさせる澄んだ音響が、積乱雲のように立ち上がる。この部分の音楽がもっとも印象的だった。

 4曲目はラヴェルの「ラ・ヴァルス」。聴き慣れたラヴェルの音にホッとしたが、それも束の間、どうも様子が違う。テンポが遅めで、浮き立つような気分になれない。最後の崩壊が驚くほどはっきりと演奏された。それはこの日のプログラム全体を終わらせる明確な意思をもった演奏だった。
(2018.9.28.サントリーホール)

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