Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ジャック・カロ展

2014年05月11日 | 美術
 ジャック・カロ展。カロ(1592‐1635)はロレーヌ公国(現フランス)のナンシーで生まれた。ローマに出て版画を修業し、フィレンツェの宮廷版画家となった。1621年にナンシーに戻ったが、版画の制作を続けた。その作品はヨーロッパ中に広まった。

 カロの個性は、たとえばチラシ↑に使われている「アルノ川の祝祭(扇)」(1619)あたりにもっともよく表れているのかもしれない。でも、今回はそういった正面からの感想ではなく、ほんとうに自分に興味のあったことを記したい。

 カロがナンシーに戻ったのは1621年。これは微妙な時期だった。三十年戦争(1618‐1648)が始まったからだ。ロレーヌ公国も戦場と化した。カロは戦争の目撃者となった。そのとき制作された連作版画が「戦争の悲惨(大)」(1633)(※1)だ。なお、同名の作品には(大)と(小)があり、今回展示されているのは(大)のほうだ。

 本作はゴヤ(1746‐1828)の連作版画「戦争の惨禍」(※2)を連想させる。今は調べる余裕がないが、ゴヤがカロの作品を知っていたことは、ほとんど確実というか、当然だろうと思う。ゴヤはスペイン独立戦争(1808‐1814)を描いた。ゴヤもカロも、ともに戦争の悲惨さの証言者となった。

 でも、ゴヤとカロでは、だいぶ作風がちがう。それを感じたことが、本展で一番強く印象に残った点だ。ゴヤの「戦争の惨禍」は昔から知っている。その記憶と、本展でカロの「戦争の悲惨(大)」を見て感じたこととに、大きな開きがあったのだ。

 ゴヤの「戦争の惨禍」では、戦争の残虐行為が、これでもか、これでもかと描かれ、その堆積の中から、戦争にたいするゴヤの告発が聞こえてくる。そこにはヒューマニズムの裏付けがある。一方、カロには、そういった一切のメッセージ性がない。なんの感情もなく、現実の一片を切り取っただけだ。

 カロの場合は、傭兵の、ならず者としての側面に目を向けた、カロの突き放した姿勢があるからだが、一方、それはカロの資質でもあるようだ。そう思うのは、「聖セバスティアヌスの殉教」(※3)を見たからだ。面白半分に矢を射る兵士たち。広場に集まった無数の人々はまったく無関心だ。聖セバスティアヌスの表情はよく見えない。神の救いが訪れた気配は窺えない。

 カロのこういった乾いた感性が、意外に現代生活に近く感じられた。
(2014.5.9.国立西洋美術館)

(※1)「戦争の悲惨(大)」より「絞首刑」
http://collection.nmwa.go.jp/G.1987-0338.html

(※2)「戦争の惨禍」より「立派なお手柄!死人を相手に!」
http://collection.nmwa.go.jp/G.1993-0041.html

(※3)「聖セバスティアヌスの殉教」
http://collection.nmwa.go.jp/G.1987-0264.html
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