Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師

2014年05月22日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」。まず「カヴァレリア・ルスティカーナ」から。舞台が美しい。シチリア島の古代ローマの遺跡を模した装置が左右にあり、その間から緑豊かな野原が見える。大きなオリーブの木が茂っている。照明も美しい。品のある照明だ。

 前奏曲が始まって、トゥリッドゥの歌声が聴こえてくる。舞台裏ではなく、舞台上で(ただし、舞台の奥で)歌われる。ローラとの逢引きから帰るところのように見える。

 こうして始まるのだが、その後はさっぱり盛り上がらない。これは指揮者のせいだと思った。慎重すぎて、イタリア・オペラ的な――切れば血が噴き出るような――血の気の多さが感じられない。入念な表現を心掛けているのだが、その反面、抑えたところがある。そこから抜け切れないもどかしさがあると思った。

 なので、イタリア・オペラ的な感興は、トゥリッドゥを歌ったヴァルテル・フラッカーロが一人で担っていた。サントゥッツァのルクレシア・ガルシアもよかったが、それ以上のもの――なにか抜きんでたもの――はなかった。

 ところが、次の「道化師」になると、様相は一変した。トニオの前口上からして、演出に意表を突くというか――それほどではないかもしれないが――、一工夫あった。続く旅芸人の登場でさらに盛り上がった。「カヴァレリア・ルスティカーナ」で抑えられていたエネルギーが一気に解放されるように感じた。指揮も同様だった。入念な表現はそのままに、弾けるようなドライヴ感が出た。

 そうか、作戦だったのか、と思った。演出のジルベール・デフロと指揮のレナート・パルンボの作戦だったのだ。それにまんまと乗せられたのだ。それが楽しかった。これもオペラの愉しさだ。

 歌手も高水準だった。カニオのグスターヴォ・ポルタは第一級のカニオだ。絶叫する英雄的な、あるいは超越的なカニオではなく、身の回りにいそうな、疲れた中年男の、等身大のカニオだ。トニオのヴィットリオ・ヴィテッリもよかった。カニオと拮抗していた。最後の台詞の「喜劇は終わりました」はトニオが語っていた。このほうが好きだ。前口上と合わせてドラマの額縁を成すからだ。ネッダのラケーレ・スターニシは「鳥の歌」をじっくり聴かせた。

 日本人歌手の健闘も心強かった。シルヴィオの与那城敬は十分な存在感があった。ペッペの吉田浩之もいい味を出していた。
(2014.5.21.新国立劇場)
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