Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カロ展(余談)

2014年05月15日 | 美術
<カロとラ・トゥール>
 先日カロ展を見て、その感想を記したが、その後もカロのことを考えるともなく考えている。まずはカロとラ・トゥールのことについて。

 カロ(1592‐1635)は、フィレンツェの宮廷で活動した後、1621年に生まれ故郷のロレーヌ地方のナンシーに戻った。時あたかも30年戦争の真っただ中。そのとき目にした傭兵の実態を描いた連作版画集が「戦争の悲惨」だ。その感想が前回の中心だった。

 で、その後、ロレーヌ地方‥30年戦争‥と、ぼんやり考えているうちに、ふっとジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593‐1652)のことに思い当たった。二人は同時代人だ。しかも、調べてみると、ラ・トゥールが住んだ地はリュネヴィルで、そこはナンシーの南東約30キロ。ひじょうに接近している。二人は面識があったのだろうか――。少なくともお互いの存在はよく知っていたのではないか、と想像した。

 それにしても、ラ・トゥールはわたしのもっとも大切な画家の一人なのに、なぜもっと早く思い当たらなかったのか。それは二人の作風が180度ちがうからだ、と思った。鋭利なリアリストのカロと、深い瞑想のラ・トゥール。この二人を結びつける発想はなかった。

 ラ・トゥールには戦争を描いた作品がないので、カロとの直接の比較はできないが、聖セバスティアヌスの殉教を題材とした作品が共通している。なんの感情もない(むしろ大衆の無関心を描いたと思われる)カロの作品と、瀕死の聖セバスティアヌスを介抱する聖イレーヌを描いたラ・トゥールの作品に、二人の感性のちがいが表れていると思う。

 ↓カロ「聖セバスティアヌスの殉教」
 http://collection.nmwa.go.jp/G.1987-0264.html

 ↓ラ・トゥール「聖イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス」
 http://cartelen.louvre.fr/cartelen/visite?srv=car_not_frame&idNotice=8708&langue=en

<マーラーの交響曲第1番「巨人」>
 カロの名前を知ったのは、高校生か大学生のころだ。マーラーの交響曲第1番「巨人」のレコードを買ったとき、第3楽章の解説に「カロ風の葬送行進曲」という言葉があった。それ以来、カロという名前は頭の片隅にあった。

 でも、今回のカロ展のどこにも、それに該当すると思われる作品がなかった。気になって調べてみたら、Wikipediaの英語版にその作品があった。猟師の死体を獣たちが担いでいる作品。なるほど、これがそうかと思った。ただ、作者はカロではない。モーリッツ・フォン・シュヴィントだ。

 これはどういうことか。カロ風の「風」に意味があるのか。それにしても、この幻想的な(あるいは寓意的な)作品が、カロ風だろうかと思いをめぐらした。

 ↓シュヴィント「猟師の葬送」
 http://en.wikipedia.org/wiki/File:Schwind_Begraebnis.jpg
コメント
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