Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラ・フォル・ジュルネ(1)

2014年05月05日 | 音楽
 今年のラ・フォル・ジュルネは2公演のチケットをとった。まず1公演目はヴァネッサ・ワーグナーのピアノ演奏会。プログラムは現代アメリカのピアノ曲。こういう機会でないと聴けない曲ばかりだ。具体的には、ジョン・ケージ、ジョン・アダムス、フィリップ・グラス、モートン・フェルドマンの計7曲。

 この演奏会には一工夫あった。MURCOFというエレクトロニック・ミュージシャンとの協演だ。元々はピアノ曲だが、それをライブ・エレクトロニクスとのコラボレーションで演奏する試みだ。さて、どうなるか。

 まずジョン・ケージの「ある風景の中で」。ケージの若い頃の作品だ。若い頃のケージには驚くほどロマンティックな曲があるが、これもその一つ。演奏が始まると、ピアノの音をマイクが拾い、さまざまな変調を加えていく。もともとロマンティックな曲だが、さらに音色的にもロマンティックに装飾され、たとえていうなら、夜空にきらめく無数の星のような感覚だった。

 これはまだ想定内のような気がした。続くジョン・アダムスの「中国の門」になると、装飾はさらに多彩になった。この曲も美しい曲だが、さらに華麗に装って、さながらクリスタルガラスの光の反射を見るようだった。なお、参考までに付け加えると、「中国の門」という題名から、オペラ「中国のニクソン」との関連を考えるが、作曲時期が離れているので、たぶん関連はないと思う。

 次のフィリップ・グラスの「メタモルフォーシス」Ⅱ、Ⅳは、今回のピアノとライブ・エレクトロニクスとのコラボがもっとも噛み合った成功例ではないかと思う。ピアノの低音を電気的に増幅して、表現力豊かな演奏になっていた。なお、この曲では演奏順がⅣ→Ⅱだったと記憶する。

 モートン・フェルドマンの「ピアノ小品1952」はもっとも驚きに満ちた演奏だった。フェルドマン特有の、単音がポツン、ポツンと鳴る‘静謐な’音楽が、ビートのきいた大音量のリズムに乗って、ライブハウスのダンス音楽のように変貌した。正直いって、腰が抜ける思いだった。

 もし作曲家ご本人がこのコラボを聴いたらどう思うだろうか。ケージは面白がるにちがいない。アダムスは微妙だ。グラスは大喜びだろう。でも、フェルドマンはどうか。怒り出すかもしれない――と想像した。

 最後はグラスの「デッド・シングス」と「ウィチタ・ヴォルテックス・スートラ」。どんどん盛り上がった。
(2014.5.3.ホールC)
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