元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

不適応型メンタル不調(新型うつ)の原因は<職場環境要因と個人要因>

2016-03-26 17:35:21 | 社会保険労務士
 様々の要因が複雑に! 「職場環境が常に緊張を強いられていること」と「働くことの意味を考えなくてはならなくなったこと」など

 前回新型うつといわれるのは、吉野氏によると「不適応型メンタルヘルス不調」であって、これは「職場において仕事をしていくうえでは、当然に想定されるような出来事をきっかけに発症し、職場から離れると比較的すみやかに症状が消褪する。薬物療法は対症的な効果にとどまり、本人の仕事やストレスに対する考え方などのアプローチが必要になる」という。

 国が後押しをして企業が適切な労務管理を行っているにも関わらず、メンタル不調が減らないのは、「過負荷型メンタル不調」(過重労働等を原因として発症)には有効であっても、この「不適応型メンタル不調」が増加していることに原因があるようだ。上司の注意など仕事の遂行上の出来事が発症のきっかけになるわけであるから、適切な労務管理を行っても減らないことになる。

 では、この不適応型メンタルヘルス不調が起きうる職場での要因には、どんなものがあるのか。

 業務の複雑化(単純労働の機械化、産業構造の変化に伴うサービス業の増化)
  単純作業というか定型的な業務は、機械化して、人間に求められる仕事は高度になり、クリエイティブで新しい価値を見出すサービス業が仕事の主流になった。しかし、必ずしもこのようなクリエイティブな仕事に向いてるわけではなく、不適応が起こりやすい。

 雇用体系の多様化(正社員に求められるスキルの上昇)
  雇用が多様化し非正規と混在して働いているが、コストの高い正社員は、必然的に、企画型業務や人を管理するマネジメント業務など、多くの人とコミュニケを取りながら遂行しなければならない業務に従事しなければならなくなった。コミュニケ能力が高くなく、黙々と与えられた仕事を着実に遂行することで評価を得てきた正社員の精神的負担は大きくなった。不適応になり疲弊した社員は、アウトソーシング等により単純労働はなくなって、一時的にその単純労働で心身の回復をはかることも出来なくなった。
 
 通信網発達による精神的緊張感の増加
  モバイル機器(携帯、PC)の発達は、どこにいても仕事をしなければならない。昔は出張すればその移動や宿泊先でのんびりできたが、ケイタイとPCでオフィスとさほど変わらない環境で仕事ができる(させられる)。それゆえ、慢性的な緊張感を常に強いられる。

 情報化社会による時代の進化スピードの上昇
  インターネットとEメールの急速な普及は、職場の余裕を失わさせた。相手先企業から郵送するといえば、到達するまで1・2日の考慮期間があったが、今は瞬時にEメールのファイルで送ることができる。絶えず緊張感にさらされている。

 以上は、職場環境要因であるが、次は、個人の考え方が変わった点=個人要因である。この個人要因が、不適応型メンタルヘルス不調が若年層に多い要因であろう。

 働くことの価値観の多様化や労働観の変化
 高度成長期は、なんのために働くかは考えることはなく、一億中流社会の一員として、皆が同じような生活を送るための収入を得ることが労働の目的であったが、今はものがあふれ必死に働いても収入が増えない世の中にあって、子供の面倒を両親がみることができる家庭も増えた。そのような裕福な社会のなかで、仕事は収入を得る手段だけではなく、自己実現等の労働に対する新たな価値観が見出すことが必要となった。「仕事だから嫌なことでもやらなくては」とか「生活のためにはがまん」といった古典的な労働観を受け入れることが出来ず、不適応に至る事例がみられる。

 ゆとり教育世代のストレス脆弱性
  1987~1996年生まれの世代は、いわゆるゆとり世代で、個性重視の教育の時代に育ったのである。それまでの教育は、どの教科も最低限の、平均的レベルの理解度が求められ、苦手教科を克服するため、放課後残っても勉強をやらされた。しかし、個性を重視する時代には、得意教科を伸ばす教育が行われ、反面苦手なことには取り組まなくてもよかった。しかし社会に出れば、やはり苦手なことにも取り組まざるを得ないことはたくさんある。この時代に育った若者に共通するのは、できないことを理由に指導をうけ、そのための努力を強いられることに慣れていない。そのために、学生時代は順調に過ごしてきたが、社会にでると不適応を起こす事例がある。

 <私からの考察>生まれた時が悪かったのか当時は週休2日制の連動で考えられていたように認識しているが、本人たちには全く責任はない。この時代に育った若者(だけではない、壮年も含まれるのでは)は、メンタル不調にあってはそういう傾向にあるというわけである。ならば、この時代に育った者の中にはその時代生まれであるからとそうなんだと認識する向きもあると思うが、自分がそうなんだと考えるならば、自分で意識して「がまん強さ」を自分なりに育ててほしいところではある。まだ出ていく社会はその個性重視を容認するような熟成した包容力のある社会ではなっていないことから、その個性重視の学校教育と必要な標準的能力という社会が求める人との齟齬が生じてしまった不幸といえる。当時は、詰め込み教育の反動で自分で考える教育が重視されたように思う。目指す教育方針に必ずしも間違いはなかったとは思うが、ゆとり教育でもって世界の中での教育レベルが落ちたと考えられて、学習指導要領もその後改められたのは、皆ご存じのとおりである。

 少子化に伴う集団的葛藤体験の減少
  昔は、子供たちはガキ大将を中心として、役割分担を担った遊びの仲間が群れていた。「秘密基地」を作るといって、ある者には段ボールを集めてくる役割が「命令」されたが、その仲間である限り、やりたくなくても秘密基地を作るという目標達成とその仲間にとどまるためには、命令に従わざるを得ない。今は、子供の数も減り、親も子供の遊びに干渉し、親も社会もそれを許されなくなっている。そのため、この集団的葛藤体験をしないままに、大人になることになる。社会に出て初めて、この「葛藤」を経験することになる。

 このように「不適応型メンタルヘルス」には、様々な原因が複雑にからんでいることが、分かる。

前回<新型うつの正体は?発生的に「精神病型」「過負荷型」「不適応型」メンタルヘルス不調の3分類>

 参考:著書<「職場のメンタルヘルス」を強化する> 精神科産業医 吉野聡 ダイヤモンド社発行
  同書の趣旨を表現・用語を含めてたどったものであるが、必ずしもそのままではなく、解釈・要約の過程で私なりに編集したところがあります。その点の編集責任は自分にありますので、念のため。
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