元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

新型うつは、外罰的な適応障害か!?

2014-01-06 04:40:47 | 社会保険労務士
認知の歪みが原因!?新型うつ

 職場の中から、発生したかのような「新型うつ」ですが、この「新型うつ」、うつだと思っていたら、その者が、休職中にハワイを遊びまわっていたというような不可解なできごとがあるので、「分からない」という職場の上司・同僚も多い。専門医師の間でもまだ確定的な定義づけはできていないようです。
 「新米メンタルヘルス担当者奮闘記」の著者の天野氏(注1)は、その本の登場人物のメンタルコンサルティング森浩助に、新型うつは「外罰的な適応障害」であると言わせているが、私なりの経験からいえば、この定義づけに納得した、共感した次第です。彼は、今までの経験で、そういう考え方が理にかなっているということに、たどり着いたのではないかと思われますが、その正体を、そう定義を行い、実践としての、その対応策を講じていることです。今回はその対応策については、省きますが、その本の中から、紹介してみます。

 新型うつについて

1 メンタルヘルス不調や気分障害と称される病気は、うつ病や両極性障害、適応障害などいくつもの病名に分類されているが、それだけでもゆうに数十は超える。
2 また、これらの病気の症状は、一つの病気にしか現れない症状もあるが、たいていはいくつもの病気に同じような症状が現れる。(たとえば憂鬱感は、うつ病でも両極性障害などでも現れる)
3 新型うつの特徴的な症状は、自分の好きな仕事や環境が提供され、ストレスが軽減させると短期間で改善する傾向があり、自責感に乏しく外罰的(失敗などの原因を他人や自分以外に求める傾向)であり、周囲の責任転嫁が目立つ。
4 この症状は、他の気分障害の病気では現れにくいため<新型うつ>と分類されるようになったが、決して新しい病気ではなく、以前から確認されていた症状もあり、<新型>と称するのは正確ではなく、むしろ<外罰的な適応障害>と呼ぶ方が正確であると思われる。従来のメランコリー型うつ病に対して、<ディスチミア親和型うつ病>と呼ばれることもある。
5 また、一方、この症状が人間として未熟型であるから現れるとして<未熟うつ>と呼ぶ人もいるが、人間自体がさまざまな未熟部分を持ち合わせているわけで、この症状の部分が<未熟>だからといって人間が<未熟>と断定するのは強引すぎる。また人に対して、特に病人に対して<未熟>という差別的な言葉を使用することは、病気の回復を遅らすことにもなりかねないので、用いるべきではない。

 新型うつの原因について

1、人間が成長の段階で、考え方の多様性を学ばず、自分の考えを肯定されつづけて育った場合、自分の考え方が正しいと思い込み、自分に同調しない考え方や行動は、すべて相手方が間違えていると考えてしまう。
 つまり、遺伝的な要素もあるが、過保護や核家族化、またテレビゲームや、同調する人々だけで集まるネット社会の中で育ち、地域社会とのつながりも希薄になった現在、さまざまな価値観の人々と接することが少なくなることによって、思考の柔軟性が欠けてしまうという。
2 そういうタイプの人が、職場や家庭でストレスを強く感じると、認知(受け止め)が歪み出して、メンタルヘルス不調になると推測されている。

 認知の歪みについて

 人は無意識に、外部からの情報を五感で受け止めている。それを脳は瞬時に、自分にとって良いことか悪いことかを見極めて行動を起こすが、「認知の歪み」というのは、最初に情報を受け止める時、歪んだ受け止め方をしてしまう。つまり、間違った認知をしてしまうということである。
 たとえば、道で友人とすれ違った場合、普通は会釈や挨拶をする。ところが、相手は知らんふりをして行ってしまった場合、普通は「どうしたんだろう?」「気がつかなかったのかな?」と考え、次に会ったときでも、「この間すれちがったんだよ、気がつかなかった?」などといった確認行動をとることになる。ところが、認知のゆがみがでてくると、「彼は僕のことが嫌いだから無視したんだ」「ああ僕は彼に嫌われるようになってしまったんだ」となってしまう。これはメンタルヘルス不調者によく見られる傾向の一つである。

 情報 上司から新しい仕事を支持されたが、うまくいかなかった。
 認知 「私に合わない仕事を与えた上司が悪い。マネジメント不足だ」
 感情 「できなかったのは私の責任ではないのに、低い評価を付けた会社は間違っている。この会社は、私に不利益や不幸をもたらす会社だ」
 行動 自分の不幸にする環境を無意識に避けようと体調が悪くなる。体調が悪くなったのは会社の責任であり、会社が自分に謝罪すべきだと行動を起こす。
 

 書いているうちに、誤解をおそれずに白状すれば、自分のことではないかと考える自分がいます。私は、子供のころより、例えば、試験の点数が悪いとだれだれが隣で寝ていたから、気になって、試験に出来なかったと考える人間でした。ところが、小学生の低学年の頃だったと思いますが、友達から「あなたは他人のせいにする」といわれ、そのことがいまだに頭に残っています。どう考えたらいいのか、それが私に課せられた人生の課題であったといえるかと思います。私に人生は、その課題を解くための人生であるともいっても過言ではありません。今まで生きてきたのは、そのためのような気もします。
大人になっても、またこの年になるまで、その考えの修正をしようと生きてきました。生きてきてそういった事象に遭うたびに、そうではなく、自分にも原因があると思うことにしましたが、時には、そう考えても、どう考えても、自分に原因が見つからないこともありました。最後には、神様がお前を成長させるためのこんな事象にめぐり合わせるのではと思うようになりました。(というより、思いどうりにならないのが人生ということは分かっているのですが、「納得できない」ところがいまだにあります。)自分は、この「未熟うつ」については、他人事とは思えません。
 ただし、私の場合、外罰的な対応として、常に自責の念に駆られ、書いてあるような、外に対しての言動=「行動」はなかなかとれませんでした。(客観的ではなく、あくまでも主観的であるのは分かっているのですが・・・他人が悪いというのは、心の底にはあるのですが、気が弱くて、他人に対して言い出せない自分がいるのが正直なところです。)

注1;新米メンタルヘルス担当者奮闘記~ストーリーで分かる正しい現場対応~(天野常彦著)日本法令
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