平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

八戸の漁港開発と会津藩士と隠岐の島

2021-08-09 10:54:05 | 古代史と聖書
BSで新日本風土記を放送しているのですが、八戸(はちのへ)の回(8月13日 朝8時に再放送)を見て驚きました。「やませ」と呼ばれる冷たい吹き下ろしが稲作の天敵だったのですが、大正時代の港湾整備の際に、やませの影響を受けない堤防を考案したのが会津出身の2-4代の神田重雄八戸市長。

八戸は「やませ」の影響で稲作に不向きで、じゃがいもを植えて飢えをしのいでいました。八戸と言えばイカ釣り船ですが、子供の時に夕暮れに出港するイカ釣り船の明かりを見たことがあります。でも、漁港として完成されたのは神田重雄八戸市長の功績なんですね。

斗南藩士と呼ばれた旧会津藩の人たちは、明治政府から逆賊の烙印を押され、東北や北海道に移植しました。八戸に移植した会津藩士は貧しくて、乞食のような風体だったそうな。そんな貧しい時代を知っている神田市長は、港湾整備で八戸の基礎を築きましたが、「八戸 港湾」で検索しても出てきません。今でも薩長の明治政府の影響か残っているのか (_ _;)

僕の母親は八戸の隣の出身ですが、トコロというヤマイモに似た芋を盛岡に取り寄せて食べていました。苦くて美味しくないのですが、トコロを食べるほど青森は貧しかったのです (;´Д`)

今の八戸は繁栄して、三社祭も昔と違って、ねぶた祭の影響を受けて派手に成り下がり。菅原文太のトラック野郎のモデルとなったのも、デコトラで有名な八戸の運送屋さん。もともと派手好きなんですね (~o~)

なお、隠岐の島が50年に一度の大雨らしいですが、どうも犯人は自分ではないかと (^_^;)

というのも、台風9号のもたらした線状降水帯は、隠岐の島とは反対側の神奈川県東部でも発生しているからです。自分ところの厚木はスレスレで通過していますが、浜松試聴会から戻ったヒドラJr.が箱に入ったまま。「箱から出て暴れたいんじゃー」と台風を呼び寄せているように思えるのです (=o=;)


隠岐の島


神奈川東部、雨の降ってない境界が厚木



全体像、見事につながっていた (@@)

台風は9号でヒドラJr.も9本首。出雲を中心とした島根はヤマタノオロチ伝説で有名ですが、ヤマタノオロチは叉(また)が8つだから首の数は9つ。九頭竜の本拠地です。そもそも、出雲がモーセ系と言い出したのは自分で、上で書いている青森のズーズー弁は、「唇に割礼を受けていない」モーセの特徴なのです。


ヒドラJr.

台風は10号が先に東で上陸。遅れて9号が西で上陸。これも、ヒドラJr.の左右のスピーカーに対応します。ヒドラJr.を開放して思う存分に暴れてもらうのが良いのか迷うところ。邪険にすると祟りがありそうで |Д´)ノ 》 ジャ、マタ
コメント (13)
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