平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

オーラの本質

2008-12-01 01:13:37 | Weblog
 僕は最近オーラという言葉をよく使いますが、読者の大半が正しく理解しているとは思っていません。なぜならば、オーラを感じる事の出来る人はごく希で、ある程度は特殊な能力に類するからです。もっとも、熱心な読者は純粋な人が多いので、その特殊な能力に秀でていても不思議ではありませんが。

 今回はフィギュアスケートと重なってしまったので書けなかったのですが、競馬のジャパンカップの予想が1~3着まで当たりました。勝ったのは伏兵のスクリーンヒーローですが、外国馬が参加するジャパンカップという特殊なレースの性質上、この馬が勝つ確率は非常に高かったのです。例えば、①スローペースに対応できる、②鞍上が馬に負担を掛けない名手ミルコ・デムーロである、③最近調子の良い上がり馬である、④二強や三強という謳い文句の時は有力馬が牽制し合うのを横目に伏兵が台頭する、⑤脚質が東京コースに向いている、などなどですが、不安要素は背負った事のない57㎏という斤量でした。凱旋門賞帰りのメイショウサムソンは寒い時期はダメ、今年のダービー馬ディープスカイは前走に疲れが出て楽をさせた、ウォッカは距離と折り合いの不安、などが的中した形です。

 僕が競馬の事を書くのは、勘違いしている読者のためではありません。予備校時代の親友で、競馬好きだった清水光太郎君を捜しているからです。ソルティーシュガーの走れコウタローを地に行く彼は、とても目のきれいな男で、性格も純粋そのもの。よく二人で泣いていたものです。お母さんの方が吉永小百合と血縁とかという曖昧な記憶なのですが、昔なら水もしたたる良い男という風貌でした。僕は彼に会わなかったら、東京の俗世に染まったかも知れません。その彼にいつ届くか分からないメッセージとして書いているのが競馬なのです。つまらない人間のために書いているのではありません。

 さて、閉鎖した宇都宮競馬場の最期を見届けた僕ですが、馬券を買わないで馬を見ていると当たるのですね。僕が見ているのは、目やキビキビした動作なのですが、この地方の馬は全国的に最低レベル、調教代わりにレースを使う、などで中央競馬の一流馬の観察方法が通用しません。結局は雰囲気だけで判断するのですが、三頭をピックアップしてそれが当たるのです。あまりにも当たるし、天から温かい光が感じられたので一度買う事にしました。美人の厩務員さんが世話しているその名もピュアガールです。これが一着となり、三点300円で買っていた馬券が1万8千円に化けました。これが古代史の第二部で書いている出来事の真相です。僕は結局、馬のその日のオーラを見ていたのです。

 さてオーラですが、オーラはプラズマ状の霊体の光なのです。予備校時代に熱心にデッサンをしていて壁にぶつかった時は、側に光の柱が立ち、それで壁を突破した事があります。もちろん出来たのは傑作です。これは、芸術の神様が導く天の光ですね。また、両親の墓所でも温かい光が天から降りてくるのを感じました(同席の弟は何も感じなかった)。これは祝福の光です。僕の場合、光を遮った部屋の暗黒状態(目をつぶった)で、オーロラのような光を感じます。また手を交差させると手の動きが分かるのです。また、背後に人がいるとイライラします。何が嫌いって、後ろに立たれる事くらい嫌な事はありません。僕は高校時代に背中に目があると言われた事があり、後ろの気配に敏感なのです。この気配を感じるのも耳ではなくオーラ(プラズマ)なのです。

 子供の頃に忍者マンガを真似て気配を隠す練習をした事があるのですが、実際に大型トンボの手掴みができたり、嫌な人間が1メートル以内にいるのに、相手が気が付かなかった事があります。必死に探しているのにですよ。気配も究極的には生体のオーラなのです。このオーラは日々変化し、些細な事で強くも弱くも、あるいは光や暗黒へと変化します。また極めて微少なので、スタジオなどで判断させるのは無理だと思います。あくまでも、オーラを感じる側の霊感に近いのですから。電車などで僕の隣に座った人は眠くなります。安心するような、独特のオーラを放っているのかも知れれません。ヘソ出しルックのギャルに「チョー渋い」と面と向かって言われるのもオーラなんですかね?自分のオーラは自分で見えないのが難点です。

     エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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