平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

遊び心の大切さ

2008-12-12 07:16:45 | Weblog
 僕の古代史はユーモアがあると好評ですが、ユーモアは心に余裕がある時に発揮されます。麻生総理の最近の発言は余裕がなく、ユーモアを発揮するどころではありません。しかし、7年の大飢饉からエジプトを救った宰相ヨセフは、古王国と呼ばれるエジプト文化全体をユーモアで覆った偉人なのです。麻生総理はその子孫として、政局の苦しい今こそ、心に余裕、唇にユーモア、顔に笑みが必要なのです。

 モーツァルトの父レオポルドは、オーストリアのエトムント・アンゲラーが1770年頃に作曲した『おもちゃの交響曲』を取り入れたカッサシオンを残し、少し前までは『おもちゃの交響曲』の作曲者と認定されていました。この曲が作曲されたと思われる年代には、モーツァルトは14才を過ぎて、作曲家として百曲も残していました。モーツァルトがこの曲を知らなかった訳がありません。ユーモア大好きなモーツァルトなら、なおさらです。

 さて、モーツァルトは1779年8月に、セレナーデ第9番ニ長調K.320「ポストホルン」を発表します。ポストホルンとはその名の通り、郵便馬車(駅馬車)が用いた到着・発着を知らせる楽器です。弁がないので複雑な音程は出せませんが、遠くまで良く届く独特の音色を有しています。このような目的の楽器として、日本ならチャルメラが有名ですが、チャルメラはオーボエと同じく二枚のリードを持つ木管です。ポストホルンはナチュラルホルンと同じく、リードを持たない管楽器の仲間なのです。

 ポストホルンは大きな音で郵便の到着を知らせるのが主目的の携帯楽器ですから、優雅さとは程遠い歪(ひず)みのある音色で、現代ならディストーションを利(き)かせた電子楽器にたとえられます。美しさを追求する作曲家は絶対に用いないであろう、マイナーな存在です。しかしモーツァルトは、この楽器をこよなく愛して見事な作品を作り上げました。それがポストホルン・セレナーデですが、使われているのは第6曲のメヌエット(3/4拍子)だけです。郵便の到着を心待つ気持ち、そして目的地にはやる郵便馬車の馭者の気持ち、それらが疾走する馬車に託されて、高揚感たっぷりの曲に仕上がっています。馬の走るリズムは三拍子なので、構成が3/4拍子なのです→ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ合奏団 指揮シャーンドル・ヴェーグ盤 Philips 1988

 僕はこの曲を聴くたびに、モーツァルトのほくそ笑んでいる顔が浮かびます。神妙な顔をして演奏する曲ではないのです。人生を楽しむ、そのような心の余裕から生み出されるユーモア。陰影の深い作品は、陰ではない光の部分も美しいのです。あーあ、このような作品を、心の余裕を持って楽しく演じる大天才スケーターが現れないですかね?緊張して観る方の肩も凝る演技なんて、プロのバレエ界では考えられません。NHK杯でハッカーが話しかけたように、あれが本当のあるべき姿なのだと思います。僕は芸大の試験の時、嬉しすぎて一人だけ顔が笑っていました。だって、試験って楽しいじゃありませんか。出番前にユーモアの一つも飛ばせないようでは、本当の実力が付いていないのだと思いますよ。生真面目さは、余裕のなさの裏返しでもありますから。心の完全なコントロールができて、はじめて技術が芸術に昇華するのです。

     エフライム工房 平御幸
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