平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

大火球、北西に落つ

2008-12-10 03:26:10 | 古代史と聖書
 昨日9日の午前2時頃、僕は図書館から借りたCDのコピーが終わったので、コンビニへ行こうと思い玄関のドアを開けました。すると、見慣れた夜の光景の中に、異様な赤いものが輝いていたのです。目を凝らしてみると、北西の地平線に赤い光の粒が集まった光源があったのです。最初は工事かなと思ったのですが、ずいぶんと遠いし、よく見ると高速道路の高架の上に見えるのです。高架に設けられた夜間照明の間隔から、その位置にあっても長さが20m近い光源だと分かります。こんな巨大な光源を必要とする工事は考えられないので、急いで部屋に戻りデジカメを持ってきました。それで撮影したのが下の画像です。

 火球

 アップ 点々は高速道路の照明

 デジカメは古いので、解像度が横1280ドットと低いのですが、それでも全体の印象に近いものは撮影できています。肉眼では点の集まりに見えたものは、解像度の低さから一塊(かたまり)になっています。後で調べたら撮影時間は2分間で、最初に発見してから消え去るまで3分程度ではなかったかと思います。さて、この光体は何なのでしょうか?

 翌昼に現場を観察すると、曇り空の高架の上は何もなく、工事や人工建造物の照明ではないと分かります。念のために地形シミュレーションソフトのカシミール3Dで調べると、150㎞先に群馬県の上ノ倉山(標高2000m位)があるのですが、頂上への仰角は1.2度ですから群馬・新潟の山脈も障害物とはなりません。すると、この光源は日本海に落ちたか、あるいは大陸で燃え尽きた隕石かもしれません。しかし、隕石だとすれば又問題が出てきます。

 というのも、『飛鳥時代の天文学』という本によると、当時もこのような火球は二度観測されているのです。1度目は天智3(664)年、草壁皇子(天武の皇太子)の生まれた年で、「火球京北に落つ」とあります。これを、689年に28才で亡くなった草壁皇子の早世を暗示と見る研究者がいます。2度目は天武14(685)年、天武天皇の死の一年前で、この年が実際の天武の死ではないかとする説があります。このように、いずれも天皇や皇子の死に結び付けられて考察される事から、火球は不吉なものと位置付けられているのです。

 今回の火球は、御所から見れば京北ですが、正確な方角は能登半島から北朝鮮を抜けるものなので、朝鮮半島かロシアに関するしるしと観るべきではないでしょうか。北朝鮮の金総書記の死亡か、韓国の国家そのものの死亡宣告が天によってなされたか、あるいはその両方かも知れません。韓国で行われるファイナル、ちょっと不気味すぎますね。

 なお、飛鳥時代の最初の火球は甲子(きのえね)で、干支(えと)は今年(戊子~つちのえね)と同じネズミ。前回の四柱推命で十干と十二支による干支を紹介しておいて良かったと思います。干支(えと)は兄(え)と弟(と)という意味で、旧暦の60年の還暦は、木・火・土・金(ごん)・水の五行×兄と弟=十干に、十二支を割り振ったものなのです。甲子(きのえね)は「木の兄・ネズミ」という意味。十と十二で120とならないのは、乙子(きのとネ)が存在しないように、組み合わせが兄か弟のどちらかに決まっているからです。火球を見たのは前回の原稿の後だから、神様の予定調和という事ですね。

     エフライム工房 平御幸
コメント
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