to go somewhere, to be something

楽しいこと、好きなことをのんびりと書いていきます。
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2015年1月30日 富山旅行 1日目(その3)

2015年02月08日 22時46分47秒 | 旅行

今回の旅行で一番悩んだのが宿選びで、富山エリアは全般的に個人客向の宿があまりありません。

特に氷見周辺は顕著で、大型の旅館か民宿しか選択肢はありません。結局、今回はあるツアー経由で「うみあかり」を選択しました。決め手は、翌日五箇山方面のオプショナルバスツアーが選択できたことです。冬の五箇山にはぜひ一度行ってみたかったので、これも併せてこの宿に決めました。

 

氷見駅前の送迎バスは中型バスで、七割方席が埋まっていました。平日ですが今、氷見は寒ブリのシーズンということで、観光客の多いシーズンなのでしょう。

 

途中、バスは、途中ひみ番屋街に立ち寄り、数組の客を乗せると海沿いに北上し、15分ほどで宿に到着します。

 

 

宿は海岸沿いの良い立地にあります。

 

 

 

バスで到着した宿泊客が一斉にチェックインするので、多少待つことになります。しかし、送迎バスから宿泊客の連絡が入っており、あらかじめ準備はされています。

夕食のお品書きや別注料理の案内、朝食券等、すべてのものはチェックイン時に受け取ります。非常に合理的なシステムです。

 

 

 部屋までは係の従業員が案内してくれます。その理由は、館内は増改築を繰り返してきたと思われ、迷路のようです。案内がなければ迷う人が出るのは確実と思われます。廊下にはスロープも多く、部分的に改装されていますが全体的に薄暗く、昔ながらの旅館の雰囲気がそのまま残っている感じです。

 

部屋は最上階、6階の海に面した部屋で、かなり立地の良い部屋と思われます。ツアーで宿を予約する場合、部屋の良し悪しはツアー会社の力関係だと思っているので、今回は良かったということです。

 

 

部屋からは海が一望できます。天気が良ければ、立山連峰が見えるのでしょうが。

 

天気が悪いにもかかわらず、富山湾は波もほとんどなく静かです。さすが天然の生簀と呼ばれるだけのことはあります。

 

 

と、部屋の前の枯れ枝に猛禽類が止まっていました。

 

彫刻か、屏風絵のようです。

 

 

しかし、部屋の立地は抜群ですが、内装はくたびれた感が目立ちます。清掃は行き届いており、またこまめに手を入れているようで、トイレ、洗面台等はきれいでしたが、肝心の部屋はかなり疲れた感じが否めず、畳や壁、広縁のじゅうたんにも汚れが目立ちます。 

 調度品やふすま、座布団には白えび、布団にはぶりがあしらわれていて、良い雰囲気を出しています。

 

 

寝具や浴衣、バスタオル等のクオリティも平均的で、悪くはありません。それだけに内装の見た目で印象が悪く感じるのが残念なところです。

 

 もう一つ残念なのは洗面所と大浴場のアメニティが非常に貧弱なこと。これは正直何とかしてほしいと思います。

 

この宿の大浴場は4階にあります。更衣室は、こちらも古さを感じますが、清掃は行き届いています。

浴場は宿のキャパから見ると少し小さい感じです。数は多いので、一杯になることはありませんでしたが、隣との間隔が狭いです。

お湯は海辺の温泉らしく、塩味で、やや苦味がある良く暖まる系の泉質です。源泉かけ流しとのことですが消毒はあり。ただし、消毒臭は全く感じません。

思ったよりも良いお湯でした。

 

この宿には敷地内に立ち寄り湯があり、宿泊客は無料で利用できます。敷地内といっても、奥のほうの高台にあり、坂道をしばらく上る必要があり、この日のように寒くて雨の日にはちょっと大変です。

泉質は似ていますが、こちらのほうが温度が高く、成分も濃厚で、良いお湯ですが、長時間は言っていると塩茹でになりそうです。

 

次は、夕食を紹介します。

 

                           <その4に続く>

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2015年1月30日 富山旅行 1日目(その2)

2015年02月08日 00時10分01秒 | 旅行

食事と買い物を終え、仮設のままの富山駅に戻ります。

この、在来線最後の特急銀座の行き先表示を見るのもあとわずかです。

 

 

高岡駅に到着です。相変わらず雪は降ったままで非常に寒いです。

 

 

高岡駅は、すっかりきれいに改装されていました。駅ビルも開業し、名産品を売る店もできており、列車で来ておみやげを買うのに便利になりました。

 

 

 

しかし、この駅に新幹線はやってきません。

 

 

当初、北陸新幹線はこの高岡駅に乗り入れる計画でした。新高岡経由に変更された経緯は調べると出てくると思いますが、北陸本線の第三セクター化を阻止するために富山県の要望で新高岡ルートに変更し、ルート変更により放棄された加越トンネルの建設費を富山県が負担までしたものの、第三セクター化は阻止できなかった、ということのようです。

 

 当時の事情がわからないので一概には言えませんが、今の目で見るとなんとも無駄なことをやってしまったものです。

これで一番影響を受けたのは間違いなく高岡でしょう。高岡は氷見、新湊、砺波、さらには五箇山といった観光地への拠点となっていますが、北陸新幹線開業後は新高岡からバスで向かうことになり、高岡は素通りされてしまうのではないかと思われます。

同時に高岡を起点とする氷見線、城端線、万葉線にも影響が大きいのではと思います。高岡に新幹線が停車していれば逆に活性化につながったかも知れませんが。

こうなった以上、新高岡と高岡間のアクセスを可能な限り向上することが必要と思われます。万葉線を新高岡まで延長できれば良いのですが、高岡駅が地平のままなので、万葉線は北陸本線の南に行くことができません。

 

高岡は個人的に好きな町なので、これが杞憂に終わり、新幹線と共に発展していくことを期待しています。

 

 

 さて、その高岡駅から、本日の宿のある氷見まで、氷見線で向かいます。キハ40系の2両編成で、一両は忍者ハットリ君のラッピング車両でした。

 

 

氷見は忍者ハットリ君の作者である、藤子不二雄A氏の出身地です。仙石線の石ノ森章太郎氏、境港線の水木しげる氏と並び、日本三大ラッピング車両といってもよいでしょう。

ちなみに車内の観光案内もハットリ君が行います。ワンマン列車なのでどこに乗っているのかはわかりませんが、さすが忍者だけのことはあります。

 

 

それにしても、キハ40系に乗るのはいつ以来か分からないほど久しぶりです。最近の気動車にはない、エンジンだけ回転が上がってもなかなか加速しない、国鉄時代の味を残す車両です。

 

2両編成の車内は結構混んでいて、座席の7割程度がふさがっていました。ほとんどが旅行客で、あとは学校帰りの高校生と少しの地元客といった感じです。

 

氷見線、というと富山湾越しの立山連峰をバックに走る写真が有名ですが、実際にはほとんど海岸沿いは走りません。

高岡を出て能町までは住宅街、能町から伏木は工場の中を走ります。

伏木は古代には越中国府のあったところで、海運の拠点として栄えてきました。ここで地元客が結構降りますが、胸にバッチをつけた団体旅行客が乗り込んできました。

昔の面影を残す伏木の町並みを抜けると越中国分、ここでようやく海岸沿いの有名な場所に出ます。といっても、この日は天気が悪く、立山連峰は見えませんが。雪はいつの間にか雨に変わっています。

 

雨晴で団体客が降りると海は見えなくなり、間もなく氷見に到着。もう一両は昔ながらの朱色一色。色あせているので焼きたらこのようです。

 

 

氷見駅前は宿の送迎バスとそれに乗りこむ人でごった返していました。その中の一代のバスに乗りこみ、本日の宿に向かいます。

 

                        <その3に続く>

 

 

 

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2015年1月30日 富山旅行 1日目(その1)

2015年02月03日 23時41分57秒 | 旅行

北陸新幹線開業まであと1カ月半、同時に在来線特急「はくたか」運転終了まであと1カ月半ということになります。

ということで、最後の在来線特急「はくたか」で富山方面に行ってきました。

もともと出張とかはほとんどなく、旅行もほとんど車で行っていたので、在来線特急にはほとんど乗っていませんが、それでも「あずさ」に次いで多く乗っているのが「はくたか」で、2度と乗れなくなる前にもう一度乗っておきたかった、ということで行き先を富山方面に決めました。

 

 

2015年1月30日、本格的に雪が降り始めた中、東京9時28分発の「Maxとき315号」で出発します。

 

 

「Maxとき315号」は、平日にもかかわらずビジネス客よりも家族連れや旅行客が多い状況で、大宮をほぼ満席で発車、次の停車駅は越後湯沢です。

 この「Maxとき315号」~「はくたか6号」の乗り継ぎは、速達タイプの設定で、東京~富山間を2番目に早い3時間17分で結びます。

 

首都圏~北陸の鉄道での経路は、昔は東海道新幹線で米原乗り換えがメインでした。しかし、1975年3月の時刻表によると、米原乗り換えでの所要時間は東京~金沢が4時間44分、富山が5時間32分を要しており、首都圏から北陸は遠い場所でした。

この後、上越新幹線開業や長岡~金沢の速達特急「かがやき」運転などにより所要時間は徐々に短縮されていきます。

 

そして、1997年の北越急行開業と、同時に登場した二代目「はくたか」は、距離的に最短ルートの開通と北越急行線内での高速運転で一気に首都圏と北陸の距離を近づけます。

この「はくたか」と、今は廃止された「北陸フリーきっぷ」が首都圏と北陸間の新たな需要を開拓したのではないかと思います。

 ちなみに、初代「はくたか」は、上野から長岡経由で金沢まで1往復運転されており、1975年3月の時刻表によると所要時間は金沢まで6時間26分、富山まで5時間35分になっています。

 この「はくたか」は、当時、上野口の特急で唯一、向日町の485系で運転されており、現在JR西日本の681系で運転されている「はくたか」に通じるところがあります。

 初代「はくたか」は1982年の上越新幹線大宮暫定開業を持って廃止されましたが、新たな首都圏対北陸の輸送の主役として見事に復活したわけです。

そして「はくたか」は北陸新幹線に引き継がれます。三代にわたり首都圏と北陸の輸送一筋の愛称も珍しいのでは、と思います。

 

 

「Maxとき315号」は越後湯沢に到着、「はくたか」に乗り換える、恒例の民族大移動が始まります。乗り換え時間はわずか10分、「はくたか」を利用するほぼ全ての人がここで乗り換えるので、かなり混雑します。しかも、大きな荷物を持った人がほとんどで、階段を二回降りるのはかなり煩わしいのも事実です。

 

 

 

1997年はもうひとつ、首都圏対北陸の鉄道にとって大きな出来事があった年で、北陸新幹線が長野まで開業した年でもあります。これにより、北越急行ルートは新幹線開業までのつなぎであることも確定したわけです。

一方、「はくたか」の運行は絶好調で、常に高い乗車率を誇る人気列車に成長しました。しかし、好調であるが故のジレンマを抱えることになります。

北越急行線内が単線であるため、これ以上の輸送力増強が困難であることです。北陸新幹線開業後はローカル線になることがわかっているので、複線化や交換施設増強などの投資はかけられないのです。

以上より、北陸新幹線金沢延伸は必然、と思いますが、それは二代目「はくたか」が拓いてきた道の上に成り立っていると言ってよいと思います。

 

越後湯沢の乗り換え通路に、こんな看板がありました。

  

越後湯沢は、17年間続いた首都圏と北陸の中継点としての役割を終えることになります。そして、在来線の定期優等列車はこの駅から姿を消すことになります。

 

 

 

この日の「はくたか6号」は、基本編成が「はくたか」唯一の683系8000番台、付属はJR西日本681系でした。

 

この日は指定席は完売ということで、満席で越後湯沢を発車します。

東京を出るときは雪でしたが、この辺の雪の量は比べ物になりません。

 

石打丸山、上越国際などのスキー場を見ながら上越線を進み、六日町で北越急行に入ると徐々に加速し、在来線狭軌最高速の160km/h運転に入ります。

「はくたか」運用に入る681系、683系は160km/h運転対応の特別な仕様となっていますが、高速で単線トンネルに突入する対策の気密構造もその一つです。

しかし、隙間風には効果がないようで、進行方向前から二列目の席でしたが、ほとんど暖房は聞かず、デッキの寒い風が吹き込みコートをかけていないと寒くて座ってられませんでした。

 

 

途中列車交換で一回運転停車したのみで北越急行線内を通り抜け、直江津到着。この辺はあまり雪がありません。

 

 

 直江津は新潟県南部の日本海川沿いの主要駅ですが、この駅に北陸新幹線は来ませんでした。ただでさえ逆S字型に大きく曲がりくねった北陸新幹線の線路をこれ以上捻じ曲げることは無理があったのでしょうが、内陸にある新井、高田とのバランスをとったようにも思います。

 

直江津を出ると長いトンネルの連続する区間に入ります。新幹線の高架が近づいてくると糸魚川を通過し、煙をもうもうと吐き出す工場を見ながら姫川をわたります。

 

 

 

再び長いトンネルで難所の親不知を越え、富山県に入ります。雪はありませんが残念ながら天気は悪く、立山連峰は見えません。

 

 

 

黒部川を渡り、YKKの工場がたくさん見えてくると黒部駅、ここも通過して魚津に停車。

魚津は現在、「はくたか」は全列車停車しますが、新幹線開業で果たして便利になるのでしょうか。黒部宇奈月温泉まで自家用車で行くのでしょうが、「かがやき」は停車しないので、富山まで戻るかのどちらかなのでしょうが、いずれにしても便利ではなさそうに思えます。

駅間が近くなりすぎますが、滑川あたりにもう一駅作っても良かったのでは、と思います。

 

 

魚津を発車し、12時46分に富山に到着。ここで、一旦途中下車します。乗客も半分ほどが降車します。

ちなみに、北陸新幹線開業後にはほぼ同じ時刻、9時32分東京発の「かがやき」に乗ると、11時46分、一時間早く富山に到着します。やはり新幹線の効果は絶大です。

 

 

 

後方には新幹線ホームがそびえています。

 

 

急に雪が激しくなってきました。

 

 

 

 

 

 富山駅は2012年11月に来た時には仮設駅でしたが、新幹線開業を前にすっかりきれいになって、はおらず、相変わらず仮設駅のままでした。

 

新幹線が開業して、在来線の列車本数が減少してから、在来線駅の高架化を行うのではないかと思われます。確かに、そのほうが合理的ではあります。

 

 

 富山は、北陸新幹線への期待であふれています。新幹線駅のほうでは盛んに工事の音がしており、最後の追い込みといったところです。

 

 

 

 

 さて、ここで昼食をとります。一時間ほどしかないので、迷わず、駅前の仮設店舗で営業中の「白えび亭」に向かいます。

 

 これは、白えび天丼刺身つき。

 

 

 

 白えび刺身定食(小)。

 

 

 やはり本場の白えび、甘くておいしいです。醤油が甘口と濃い口の両方おいてありますが、白えびの甘さには甘口もよく合います。富山に来たら味わっておきたいものの一つです。

 

さて、今回の旅行で富山駅にはもうよらないので、ここで早くもおみやげを購入します。「白えび亭」の入っている、同じ建物、仮設の「とやま駅特選館」で買い物をします。

まずは定番「月世界」。

 

 

富山ではありませんが、金沢の中田屋のきんつば。

 

 白えびとほたるいかのおかき。

 

 

 

この「とやま駅特選館」新幹線開業前日、3月13日で営業終了ということです。

 

 

                       <その2に続く>

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