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2015年1月30日 富山旅行 1日目(その2)

2015年02月08日 00時10分01秒 | 旅行

食事と買い物を終え、仮設のままの富山駅に戻ります。

この、在来線最後の特急銀座の行き先表示を見るのもあとわずかです。

 

 

高岡駅に到着です。相変わらず雪は降ったままで非常に寒いです。

 

 

高岡駅は、すっかりきれいに改装されていました。駅ビルも開業し、名産品を売る店もできており、列車で来ておみやげを買うのに便利になりました。

 

 

 

しかし、この駅に新幹線はやってきません。

 

 

当初、北陸新幹線はこの高岡駅に乗り入れる計画でした。新高岡経由に変更された経緯は調べると出てくると思いますが、北陸本線の第三セクター化を阻止するために富山県の要望で新高岡ルートに変更し、ルート変更により放棄された加越トンネルの建設費を富山県が負担までしたものの、第三セクター化は阻止できなかった、ということのようです。

 

 当時の事情がわからないので一概には言えませんが、今の目で見るとなんとも無駄なことをやってしまったものです。

これで一番影響を受けたのは間違いなく高岡でしょう。高岡は氷見、新湊、砺波、さらには五箇山といった観光地への拠点となっていますが、北陸新幹線開業後は新高岡からバスで向かうことになり、高岡は素通りされてしまうのではないかと思われます。

同時に高岡を起点とする氷見線、城端線、万葉線にも影響が大きいのではと思います。高岡に新幹線が停車していれば逆に活性化につながったかも知れませんが。

こうなった以上、新高岡と高岡間のアクセスを可能な限り向上することが必要と思われます。万葉線を新高岡まで延長できれば良いのですが、高岡駅が地平のままなので、万葉線は北陸本線の南に行くことができません。

 

高岡は個人的に好きな町なので、これが杞憂に終わり、新幹線と共に発展していくことを期待しています。

 

 

 さて、その高岡駅から、本日の宿のある氷見まで、氷見線で向かいます。キハ40系の2両編成で、一両は忍者ハットリ君のラッピング車両でした。

 

 

氷見は忍者ハットリ君の作者である、藤子不二雄A氏の出身地です。仙石線の石ノ森章太郎氏、境港線の水木しげる氏と並び、日本三大ラッピング車両といってもよいでしょう。

ちなみに車内の観光案内もハットリ君が行います。ワンマン列車なのでどこに乗っているのかはわかりませんが、さすが忍者だけのことはあります。

 

 

それにしても、キハ40系に乗るのはいつ以来か分からないほど久しぶりです。最近の気動車にはない、エンジンだけ回転が上がってもなかなか加速しない、国鉄時代の味を残す車両です。

 

2両編成の車内は結構混んでいて、座席の7割程度がふさがっていました。ほとんどが旅行客で、あとは学校帰りの高校生と少しの地元客といった感じです。

 

氷見線、というと富山湾越しの立山連峰をバックに走る写真が有名ですが、実際にはほとんど海岸沿いは走りません。

高岡を出て能町までは住宅街、能町から伏木は工場の中を走ります。

伏木は古代には越中国府のあったところで、海運の拠点として栄えてきました。ここで地元客が結構降りますが、胸にバッチをつけた団体旅行客が乗り込んできました。

昔の面影を残す伏木の町並みを抜けると越中国分、ここでようやく海岸沿いの有名な場所に出ます。といっても、この日は天気が悪く、立山連峰は見えませんが。雪はいつの間にか雨に変わっています。

 

雨晴で団体客が降りると海は見えなくなり、間もなく氷見に到着。もう一両は昔ながらの朱色一色。色あせているので焼きたらこのようです。

 

 

氷見駅前は宿の送迎バスとそれに乗りこむ人でごった返していました。その中の一代のバスに乗りこみ、本日の宿に向かいます。

 

                        <その3に続く>

 

 

 

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