*~ 論語の小径 ~*
閑谷学校の受付を出ると黄葉亭への看板があります。
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渓流に沿って論語の小径が続き
450m先には黄葉亭(茶室)があります。
*~ 論語の小径について ~*
「論語の中でも親しみ易い二十章句を掲示しています。
閑静な自然に囲まれた論語の小径、
美しい風景を楽しみながら
散策のついでに論語に親しんでいただければ、
より旧閑谷学校の思い出が豊かなものになると思います。」
※ 看板より
(文字が小さいのでここに書き写しました)
以下同じです(訳文含む)
渓流沿いの紅葉を眺めながら進みます。
ゆっくりと孔子の言葉を
自分に照らしながら読んで行きます。
子曰(のたまわ)く
速(すみ)やかならんと欲すること母(な)かれ
小利を見ること母かれ
速やかならんと欲すれば 則ち(すなわち)達せず
小利を見れば則ち大事成らず。
*~ 訳文 ~*
孔子の弟子冉求(ぜんきゅう)が
「先生の説かれる道を学ぶのは大変嬉しいことですが、
私の力不足で、今だに身についておりません。」
と言うと
孔子が言われた
「本当に力がない者なら力一杯やって、
道中で力がつきてやめることになる。
しかし、お前はまだ力を使い切っておらず、
もうできないと自分で自分の壁をつくってやめているのだ。」
*~ 訳文 ~*
孔子が言われた
「人格者は落ち着いて謙虚であるが、
驕り高ぶったりしない。
そうでない者は驕り高ぶり、
落ち着きがなくてゆったりしていない。」
子曰く
過ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う。
*~ 訳文 ~*
孔子が言われた
「人は本来、正直に真っすぐ生きていくものだ。
それを歪(ゆが)めて生きていられるのは、
まぐれでたまたま助かっているだけである」
子曰く
三人で行くとき必ずわが師あり。
其(そ)の善き者を択(えら)びて之に従い、
其の善からざる者にして之(これ)を改(あらた)む。
*~ 訳文 ~*
三人で何かをすると、必ずその中には自分の師となる人がいる。
其の善き手本となる人を選んで見習い
その善からざる人を見ては我が身を振り返り
そうならないように改めることだ。
*~ 訳文 ~*
子貢(しこう)が孔子に訊(たず)ねた
「一言で言い表せる言葉で、人が一生心がけ、
行っていかなければならないことがあるとすれば、
それは何でしょうか。」
孔子が言われた
「それは恕(思いやりの心)だよ。
例えば、
自分がして欲しくないことは他人にもしてはいけない。」
* * *
子貢は孔子亡き後、
弟子の中で最も出世し豊かになったと
ある本で読んだことがあります。
渋沢栄一も「論語と算盤」の中で述べているように、
人の上に立ち信頼を得るには
孔子の言う「人を思いやる心」が大事なんですね。
*~ 訳文 ~*
孔子が言われた
「人は、遠く先々まで見通した配慮ができないようであれば、
必ず近い内に心配事が起きるものだ。」
これは有名な一節ですね。
未だ成し得ていないことばかりです(^^;)
*~ 渓流の脇に立つ黄葉亭 ~*
*~ 黄葉亭 ~*
生徒から儒者、文人までが茶を楽しんだ憩いの場
文化10年(1813)に来客の接待や教職員、生徒の
憩いの茶室として建てられ、頼山陽や菅茶山など
儒者や文人を迎え親交を結ぶ場としても使用されました。
※パンフレットより
よく今日まで保存されたものですね。
保存に尽力された皆さんの熱意と努力の賜物と思います。
この素晴らしいお茶室が後々までも
遺されていくよう願っています。
* * *
閑谷学校の見学の後に
ゆっくりと論語の小径を歩みながら
自分の来し方を振り返ってみました。
論語の言葉が身に染みて
味わい深い時間となりました。
今ではすっかり忘れていますが、
「子曰く・・・」授業で教わったことがありますね。
川沿いの美しい紅葉を愛でながら、小径を進めば論語にも
親しめるというのは素晴らしいことです。
それも訳文付きですから、わかりやすいことこの上もない
ですね。色々と考えさせられ、反省もさせられたひと時
だったことでしょうね。
論語の小径 紅葉見ながらゆっくりと読んでいくのも楽しそうですね
訳文もついているので私みたいなのが行ってもよくわかりそう
綺麗に色ずいた渓流の側に建つ茶室が終点
楽しそうな場所ですね
漢文の授業で、読み下し文の格調の高さに触れて、新たな世界に踏み込んだ気分でした。
しばらく忘れていましたが、論語の小径で初めて出会う一節もあって
高校の授業を懐かしく思い出しました。
ここでは訳文もついているので、散策がてら気軽に読めて良かったです。
六十にして耳順い、七十にして矩をこえず・・・
いやいや~まだまだ無理っぽいです~(^^;)
京都には「哲学の小径」、こちらは「論語の小径」です。
紅葉を愛でながらの散策で、訳文のついた論語を読めるとは思っていなかったので、
良い所に行って来れたなあ~と満足しています。
終点の茶室がまた良かったです。
ここで一服頂けたら最高でした(^_-)-☆
○十年前 難しい先生の顔
論語の小道 耳が痛いことばかりです
最後の3枚の黄葉亭画像でホッとしました。
こんばんは。
紅葉を楽しみながら論語にしたしむ!
なかなか贅沢な小道ですね。
高校時代の古語の授業を思い出します。
古語の時間は苦痛でした。(笑)
漢文の授業は難しかったですが、漢文の格調高い雰囲気は好きでした。
当時はテストの時に一夜漬けでしたが、今ならちゃんと勉強すると思います(ほんま~?)
論語の小径、耳の痛い小径でしょう~(^^;)
当たり前のことでも、こうして改めて言われると、出来ていないことばかりです💦
黄葉亭は紅葉の中でひっそり立っていました。
中が見学出来ずに残念でした(^_-)-☆
黄葉亭までの450mの小径が、この論語のお陰で二倍楽しめました♪
これを考えてくれた方に感謝です。
これなら家族連れで言っても楽しめそうです。
古語の授業は難しかったです~(^^;)
漢文は今なら理解しやすそうです(遅すぎ~)(笑)
論語や漢文の時間は、先生の言葉が頭の上を通過していた記憶があります。
多分寝ていたのでしょうね。
今思えば、あの時もっと一生懸命に話を聞いていたら、と思うばかりです。
先生が楽しい先生で、お寺の住職をされておりましたので、時々授業から外れた話をしてくれましたが、そちらの方が印象に残っております。
でも、もっと勉強してして置けばよかったと今更ながら思ってしまいます。
漢文は格調高さは感じていましたが、興味があるほどではなく
試験のためだけの勉強でした。
今の自分なら楽しく勉強出来そうです(^^;)
床にかけるお軸は漢文ですもんね。
当時きちんと勉強していたら、今頃はすらすらと読み下せて
どこに行ってもお床拝見が楽しみで仕方ないくらいになっていたでしょうね(^_-)-☆