私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

お弟子さんのミニ茶会♪

2017年02月27日 | 茶の湯便り

~ お雛様の香合 ~

先日のお稽古で、アイさんが友人を誘ってお茶会を開いたと、
その様子を楽しそうに話してくれました。



彼女はお稽古を始めてから、この三月で三年になります。
この間、自宅で友人を招いてお茶会をするのが夢で、
その夢に向かって一生懸命お稽古に励んで来ました。

「盆略点前」と「運び薄茶点前」、どちらも裏千家において
最も基本的なお点前ですが、このお点前の出来具合が
80%くらいになった時から、家族や親しい友人たちを招いて
練習を兼ねて、ミニ茶会を開くように勧めていました。



でもその都度、「まだ自信がなくて・・」と尻込みされて、
茶会の夢は、まだまだ先のことと思っていたのですが、
もの事は意外な事から展開して行くものです。

昨年末に、息子さんのお嫁さんの、お父様からのたっての願いで、
親族だけのミニ茶会を開かざるを得なくなったとのこと。
それは
アイさんが現在お稽古中だと、昔お稽古をされていたお父様の耳に
入ったことから、それなら「是非に!」と所望されたからなのでした。




~ 丹波焼に桃と菜の花 ~

それからのお稽古で、
私は、使うお道具や段取りなどの相談には乗りましたが、
当日のお茶会は、彼女一人の力でやりくり出来たのでした。

その時の様子を、お稽古の時に話してくれましたが
「やってみると何とか出来るものですね、
これなら友達を誘ってお茶会が出来そうな気がして来ました」 と
とても嬉しそう

また
「こうして人を招いてお茶会をしてみると、今までのようにぼんやり
お稽古していては勿体ないと思うようになりました」 と
嬉しい感想までも聞くことが出来ました。



そして
次のお茶会への希望を胸に、充実したお稽古を重ねて、
二月中旬、お友達を招いてミニ茶会を開くことになりました。
お友達は四人、一人の方はお茶の経験は無く、
あとの三人は昔お稽古された経験のある方達です。

「どうしたら楽しんで頂けるか」に重点を置いて、
使うお道具や段取りを彼女なりに考えて当日を迎えました。

その結果
和やかなお茶会になって、お友達が喜んでくれた様子や、
自分も楽しかったことなど話してくれて、私も嬉しくなったのでした。

* * *

お茶の楽しみは、高価なお道具が無くても、
立派なお茶室が無くても、
身近な所で、あるものを使って、
「集った人たちが、一緒にいる時間を楽しむ」
ということで良いのだと思うのです。

アイさんのミニ茶会への夢は、今後どんな風に広がっていくのでしょう。
その翼を広げてあげるのが私の役割なのだと、私にも夢が広がるお話でした。


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小豆島と日生諸島を望む * ミモザ咲く港の見える丘公園より

2017年02月21日 | 旅の楽しみ


19日はポカポカの良いお天気。
陽気に誘われて海を見に行って来ました。



こちらは岡山県備前市日生町の"港の見える丘公園"です。
JR赤穂線日生駅に近い標高126mの楯越山(たてごえやま)の
山頂にあって、周囲を360度見渡すことが出来ます。
この時には、ミモザの花が咲き始めたところでした。
三月中旬には満開となり、とてもきれいです。

遊歩道があり、そこを歩くと山頂までは30分はかかりますが、
山頂付近まで車で上がることも出来ます。
隠れた名所として知れつつあるようで、この日の駐車場には、
福岡、神戸、倉敷、姫路などのナンバーが並んでいました。




~ 小豆島と日生諸島 ~

ここからの眺めは最高!
まるで自分が海賊の親分になった気分です♪

向こうにうっすらと見えているのが小豆島。
日生港からは、フェリーが1日5往復出ており、
片道1時間の瀬戸内海の旅が楽しめます。

手前左側が鹿久居島(かくいじま)、岡山県最大の島です。
名前が示す通り、野生の鹿の生息地です。
平成27年4月に「備前♡日生大橋」が架かって本土と陸続きになりました。

橋が架かったことで、鹿が本土に渡ってくるのでは・・・
との心配がありましたが、今のところはどうなのでしょう。




~ 日生湾・寒河湾・うちわだの瀬戸 ~

東側に目を向けると、手前に「日生湾」向こうが「寒河湾」、
右上に「うちわだの瀬戸」と続き、その向こうは瀬戸内海です。

中央に走っているのが、備前♡日生大橋です。
左が本土側で、右側が鹿久居島。




~ 鹿久居島と備前♡日生大橋 ~

橋は歩行者、自転車も通行可能で、自動車共に無料。
海面に浮かぶ牡蠣の養殖筏が良い景色を作っていて、
途中の待避所で車を停めて、その眺めを楽しむことが出来ます。




~ 港の見える丘公園の石垣に咲く水仙 ~

暖かな日差しを浴びて、気持ち良さそうに水仙が咲いていました。
こういった光景に巡り合うと、一気に幸せ感がアップします♪

ここから階段を下りると「五味の市」に着きます。
日生漁業協同組合が運営する魚市場で、獲れたての魚を求めることが出来ます。

シャコやアナゴ、小魚など、冬場は牡蠣が最高!
9時からの営業で、定休日は12月29日~31日。
駐車場は100台、バスは10台停められますから、
車でのお買い物も心配ありません。

美しい景色を眺めて、お土産に新鮮な魚貝類のお買い物。
港近隣のお食事処で、新鮮なお刺身定食やアナゴ丼などを頂くのも
日生(ひなせ)での大きな楽しみになっています。



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30年ぶりのボーリングの結果・まだまだ捨てたもんじゃないね♪

2017年02月14日 | 思うこと

初めてボーリングをしたのは高2の時、
東京の大学に進んだ兄が帰省した時だった。

二回目がその二年後、年下の二人の従弟と行った時で、
いきなりターキー(三回続けてストライク)を出して、
アベレージは121だった。
○○ちゃんすごいやん!と言われたのを覚えている。

その後は、結婚して子供が小学生になった頃に一回行って、
今回が四回目のボーリングである。

アベレージは、1ゲーム目が79。
2ゲーム目が92。

隣のレーンでプレイしていた若い女性たちが50点台のところ、
シニアとしては中々と、嬉しかった。

因みに、主人は1ゲーム目が71。
2ゲーム目は78。
まあ私より5歳年上だからこんなものか・・・
でもガターが何回もあったから、運動神経の無さが露呈した?

息子は1ゲーム目が109。
2ゲーム目が105。
本人も10年ぶりのプレイだったようで、こんなもんや、と。

* * *

中々面白かった。
後で主人に教えてもらったが、狙いどころはトップのピンと
その斜め後ろのピンとの間とのこと。
なるほど!そうだったのか!
私はまっすぐに転がして、
トップのピンに当てることばかり考えていたから、
それでストライクが出にくかったのだ。
そして、彼曰く「お母さんって運動神経悪い?」と。

そう言う主人はガターが多くて、ストライクは一度もなかった。
三人の中で一番成績が悪くて悔しがっていたけど、
私にそんな事を教えてくれて、人が良いのだなあ。
次回は、もっと私との点差が開くことだろう。
主人がへそを曲げないといいのだけれど・・
それでも
楽しみである。




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*古い金銀蒔絵の盃台と盃* 古い塗り物の味わいを大事に

2017年02月10日 | 時空を超えて来たものたち

~ 盃台に三枚組の盃を乗せたところ ~

毎年お正月に持ち出される松と鶴の盃
金と銀の高蒔絵が施され、一部に貝が嵌め込まれている。

全体の朱塗りは柔らかい厚みを感じさせ、
蒔絵の金銀の色は、さすがに落ち着いて
鈍い輝きを放っている。




~ 二枚目 ~

三枚ともに見た目は重量感があるのに
持ってみると羽のように軽い。




~ 三枚目 ~

いつ頃のものか分からないが、こんなに薄い仕上がりで、
よく今までに割れなかったものと感心する。
木の乾燥具合や、塗りの良さを物語っているようである。




~ 盃台上部 ~

金と銀がこんもりと蒔かれている。
絵柄や柄つけに古い時代が感じられて魅力的。





~ 盃台脚部 ~

脚部に少し亀裂が入っていたので、塗りをはがして
自分で塗り替えてみようと、やすりで削り出して「しまった!」と
思ったことがあった。
盃台の脚部には、しっかりと下地がなされていたからだ。

それは、ただ漆を塗り重ねただけでなく、下地に布が貼られていて、
その上に漆が塗り込まれていたのだった。
この手間があってこそ、この柔らかな塗り面が出来たのだろう。

現在で、この技法で塗りを施した物はとても高価で
もはや私の手には届かないに違いない。

こうして、盃台の上部と私が塗り替えた脚部を比べると
色合いも質感も、軽く安っぽくなったのが良く分かる。
たとえ、亀裂が入っていても、自分で塗り替えるなど
とんでもない話だったのである。




~ 桐箱 ~

この三枚の盃と盃台が入っていた桐箱。
この箱にきちんと収められていたから、これだけきれいに
今まで生き残ってこれたのだろう。
これからは、そっと大事に使ってこのまま次世代に
伝えていこうと思うのである。


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出光興産創業者の美しい決断 *海賊と呼ばれた男*を読んで

2017年02月07日 | 思うこと

先日、いつも元気印の私が、珍しく風邪をひいた。
しんどくて何も出来ない頃に、主人が「読んでみるか?」と
貸してくれたのがこの本。

第1刷発行が2012年だし、映画化もされて今上映されているので、
本は読まずに映画を観て済ますつもりだった。

しかし
寝ながら出来る事といえばTVを見ることくらいだったから、
それよりはこの本を読む方が面白いだろうと思って読み始めてみると、
創業者の美しいまでの決断と、果敢な行動力に、ぐったりとしていた
心身に喝を入れられ、活力を注ぎ込まれた気分になった。



感動の場面はいくつもあるが、その内の二つを紹介してみたい。

一つは、戦後丸7年も経ずして巨大タンカー(日章丸)をサンフランシスコに航行させたこと。
昭和27年1月9日、ゴールデンゲートを通過し、サンフランシスコ港に到着。
この日、日章丸の処女航海の成功を祝い、船上でパーティーが開かれ、
このパーティーにはサンフランシスコの政治家や財界人などが200名以上が集まった。

敗戦国の日本が世界最大級のタンカーでやって来たということが注目され、
彼らは美しく巨大な日章丸に感銘を受け、

招待客の一人で、当時世界最大の銀行であったバンク・オブ・アメリカ
(BOA)の極東部長ハリー・クィネルをして
「ゴールデンゲートをこれほど大きなタンカーが通ったことはない。
その船を造ったのが、戦争に敗れた日本人だということはすごいことだ」
と言わしめたことである。

* * *

二つ目は、敗戦後、日本の石油エネルギーを牛耳っていたのは
巨大国際石油資本「メジャー」たちだった。
日系石油会社は次々とメジャーに蹂躙される。

一方、世界一の埋蔵量を誇る油田をメジャーのひとつアングロ・イラニアン社
(現BP社)に支配されていたイランは。国有化を宣言したため、
国際的に孤立し、経済封鎖で追い詰められていた。

アングロ・イラニアンの全施設を接収したイランは世界に向けて
石油を売り出そうとしたが、イギリス政府は「イランの石油はイギリスのもの」
と宣言して、国際司法裁判所に提訴した。

さらに世界の国に対して、「イランの石油を買わないように」と警告を発したため、
大英帝国の怒りを買うことを恐れて、イランの石油を購入しようという国は
現れなかった。
そのため、イランは有り余る石油を抱えて、たちまち経済的に困窮した。

そんな中、イランの石油を積んだイタリアの船がイギリスの軍艦に
拿捕されるという事件が起きた。

しかし、出光創業者は
「イランの苦しみは○○商店の苦しみでもある。
イラン国民は今、塗炭の苦しみに耐えながら、タンカーが来るのを
一日千秋の思いで祈るように待っている。これを行うのが日本人である。
そして我が○○商店に課せられた使命である」
として

イギリス海軍による拿捕や撃沈の危険も承知で
イランのアバダンに向けて日章丸を極秘裏に航行させ、
石油の輸入に見事成功した。
そのことである。

* * *

自社のためだけでなく、国のため国民のため、
またイランのためにも闘った出光興産創業者の
その生き様に惚れた本だった。

自分も日章丸に乗ってサンフランシスコまで行き、
また、イランのアバダンにも同行出来た気分になって、
読み終わる頃には、勇気凛々、元気も頂いたのであった。


講談社: 著者 百田尚樹
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春まであと一息!ウラギンシジミの越冬

2017年02月04日 | 虫のお話

~ 細い脚でしがみつくウラギンシジミ ~

昨年末からここで越冬していて、
1月中の強風も降雪も冷たい雨も、みんなクリアーしました。

日も長くなり、日差しにも春を感じられるようになりました。
春まであと一息
頑張れウラギンシジミ!




周囲の景色の中に上手に紛れています。
鳥に狙われた様子もありません。
良い所を見つけたものですね。



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