私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

感無量 薬師寺 *日光・月光両菩薩の御背中* 平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展にて

2019年03月28日 | 神社仏閣・仏像

~ 国宝 薬師寺展のポスター~


*~歴史的展覧会~*

2008年 平城遷都1300年を記念して
「国宝薬師寺展」が東京国立博物館で開催された。

日本仏教彫刻の最高傑作のひとつとして知られる
金堂の日光・月光両菩薩立像が2体揃って寺外で
初めて公開されるとあって、80万人に届こうかという
多くの入場者を動員し、天皇陛下も御覧になったという
歴史的展覧会となった。




~ 日光・月光両菩薩の御背中 ~

この写真は、日光・月光両菩薩を拝観したその同日に
息子のアパートでTVを見ていた時にタイミングよく
放映されたものである。
携帯で写したもので写りは良くないが、両菩薩の御背中が
一つの画面で見られるとは、こんな幸運なことはない。
威風堂々とした御背中の雰囲気が良く現れていた。


*~空前の仏教美術展覧会~*

この展覧会は、教科書でも知られる絵画の名品「吉祥天像」や
瑞々しく美しい「聖観音立像」など貴重な文化財が揃って
初めて寺外で展示されるという空前の仏教美術の展覧会でもあった。


*~堂々たるスケール~*

身丈 日光菩薩立像が317.3cm、月光菩薩立像が315.3cm
一般的な家屋では2階の床を突き破ってなお50cmほども
お顔が現れる御身丈であり、脇侍としては堂々たるスケールである。


*~尊崇の念抱く 日光・月光両菩薩の御背中~*

薬師寺金堂においては光背の前に立っておられるので
背部は目にすることが出来ないが、この展覧会では
その光背が外され、360度の視点で拝観することが出来た。

そこで驚いたことは、なよやかで美しい前面の姿からは
想像もつかない武人のような御背中の力強さだった。
そのどっしりと威風を放つ姿に衝撃を受け、
しばらくその場に釘付けになってしまった。

ある仏師は「仏像は仏様が降りてきて出来上がる」と言ったらしいが、
両菩薩の御背中から発せられる「大きな気」を感じた時に、
この菩薩の仏師は、まさに仏様と一心同体となっていたに違いない、
と思った次第。

深く感動した展覧会であった。


※ この記事は過去に掲載した記事に加筆修正したものです。
先日、読売新聞で「復興祈り法要」との見出しで薬師三尊像の
等身大の軸が掛けられたとの記事を読み、
展覧会での感動を思い出し再度アップしました。

参考: 「よくわかる仏像の見方」 西村公朝著 小学館
「国宝薬師寺展パンフレット」 東京国立博物館



コメント (9)
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鶴林寺の*あいたた観音さん*は白鳳時代の素晴らしい聖観音立像だった

2018年05月24日 | 神社仏閣・仏像
~ 金銅聖観音立像 (白鳳時代) 重要文化財 ~

像高83センチの可愛らしい聖観音立像は、白鳳時代の傑作

以前に、仏像に関する本を読んでいた時にこの仏像を見つけ、
法隆寺の夢違観音(白鳳仏)と雰囲気が似ていると
ずっと気になっていて、この度ようやく拝観することが出来た。

かすかに口元に微笑みをたたえているのが、この時代の仏像の特徴。
柔らかな表情、美しい三面宝冠、優美に流れる衣
どこをとっても素晴らしく見入ってしまった。


~「あいたた観音」の由来

昔、盗人がこの像を盗み出し、溶かそうとしても溶けず、
壊そうとすると「あいたた」と観音様が声を発した。
驚いた盗人は像を返して改心したという伝説があり、
それから「あいたた観音」と呼ばれているとのこと。

こんなに素晴らしい観音像が無事に戻って来て良かった。
今では鶴林寺の宝物館に収められ、もう盗まれる心配はなさそうだ。
日本の宝として永く後世に伝えていかれることだろう。




~ 鶴林寺・本堂(国宝) ~

鶴林寺は播磨の法隆寺と呼ばれる。
589年、聖徳太子16歳の時、秦河勝に命じ、
仏教を広めるための道場として「四天王寺聖霊院」を
建立されたのが始まりと言われている。
その後、平安時代に鳥羽天皇から勅願を頂き、
「刀田山鶴林寺」と寺号を改めた。




本堂は和様、大仏様、禅宗様の折衷様式の傑作建築として名高い(1397年)
ご本尊は薬師如来。日光菩薩、月光菩薩、持国天、多聞天と十二神将を祀る。
ご本尊w始めとする五体は秘仏として60年に一回開帳されるとのこと。
その他にも、特別なことがあれば御開帳されるらしい。

ということは、来年は新天皇、皇后陛下のご即位の年。
ひょっとすると御開帳なるかも知れない♪
しばらくは鶴林寺さんの動向に注意ですぞ!




~ 太子堂 (国宝) ~

兵庫県内最古の木造建築(1112年)
屋根は宝珠を頂いた檜皮葺
ご本尊は、釈迦。文殊、普賢、四天王を祀る。

室内には九品来迎図、仏涅槃図、柱絵、その他の壁画が
描かれているが肉眼では見えず、これらは最新の科学分析により
極彩色で復元され、原寸大の仏涅槃図復元模写図、聖徳太子絵伝も
併せて宝物館に展示されている。




~ 宝物館に展示されている仏涅槃像図復元模写図 ~

柱絵も極彩色でとても美しかった。
本堂を始めとした建物群は美しく魅力的だが、宝物館も
展示が充実していて素晴らしいので、忘れずに立ち寄るべし!
あいたた観音さんも宝物館にいらっしゃいます。



~ 仁王門 (室町時代) 県指定文化財 ~

階上に座禅堂を持つ楼門形式




~ 本堂全景 (国宝)~

鶴林寺は関西花の寺二十五か所霊場

六月中旬は菩提樹(主たる花)
春はツツジ
夏は紗羅、木槿、栴檀、萩
冬は椿、水仙




~ 三重塔 (室町時代)県指定文化財 ~




~ 鶴林寺全景 ~




~ 経路図 ~

所在地 兵庫県加古川市加古川町北在家424
Tell 079-454-7053
参拝 年中無休 開門9時 閉門16時半
加古川バイパス加古川インターより10分


※ 参考
鶴林寺パンフレット(聖観音立像、鶴林寺全景、マップ含む)
観光ガイドブック「わがまち加古川60選」発行:加古川市役所
「播磨の国宝を巡る」発行:加古川観光協会・加東市観光協会
加西市観光まちづくり協会・小野市観光協会


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皇太子様もご覧になった「仁和寺と御室派のみほとけ」展

2018年03月10日 | 神社仏閣・仏像

~ 昨日・3月9日の読売新聞朝刊より ~

一般の観覧者(拝観者)は撮影不可の
葛井寺のご本尊・千手観音菩薩像を皇太子様がご覧になられたと
報じられ、その気高く美しいお姿が写真入りで紹介されました。

実物を拝観しましたが、残念なことに記憶は薄れて行きますから、
こうして新聞で写真を公開して頂けるのは有難いことですね。

※ 会期終了は明日です。




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「仁和寺と御室派のみほとけ」展・素晴らしかった葛井寺の千手観音菩薩坐像と空海の行書

2018年03月07日 | 神社仏閣・仏像

~ 東京国立博物館 (平成館)のポスター ~

2月20日にようやく行って来ました。
右下の像が「大阪・葛井寺の千手観音菩薩坐像」・会期末の3月11日まで展示されます。
天平仏の傑作と名高い葛井寺のご本尊
実際に1041本の手を持つ国内最古の千手観音像。

普段はお厨子に安置されていて、御開帳の時にしか拝観出来ませんが、
この特別展では、背後までも見ることが出来ます。
気高く優しいお姿に魅了されました。




開館は9時半、9時40分に到着すると20分待ちの行列が出来ていました。
このくらいなら助かるね。




~ 仁和寺観音堂の群像 ~

千手観音とその従者である二十八部衆




両脇に風神、雷神を加えて三十尊とする構成
この構成は京都の三十三間堂にならったとのこと。

このエリアのみ撮影可能
他のみほとけ様は撮影不可でした。


仏像の他にも、天平と真言密教の名宝も多数あり、
三十帖冊子の中で空海の直筆の行書が見られたのは嬉しかった。
超人空海の直筆、身震いする思い。

まだまだ、たくさんの名宝が展示されています。
会期は11日まで、まだの方は是非どうぞ。




11時頃外に出ると長蛇の列が!
最後尾は40分待ちの看板が出ていました。



~ 動物園に向かう人波 ~

9時40分に到着すると、シャンシャン目当ての人たちが
動物園目指して歩いていました。
11時頃には、整理券がないと看板が出ていました。
こちらはうんと早く行かないと整理券が手に入らないのでしょうね。



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運慶作品、全35軀完全カタログをゲット!

2017年09月12日 | 神社仏閣・仏像

なんと!なんと!
この度、サライ (小学館発行の月刊誌) 10月号の別冊付録で、
運慶作品の全てが収蔵された、永久保存版の冊子がついていた。

新聞の広告に載ったのを見て、本屋さんにダッシュ!
届きたての10月号を手に入れて、ほくほくで帰宅。



* 若い頃から、お寺大好きの寺ガールだった *

同級生たちは、北海道だの隠岐の島など、遠方への旅が多かったが、
私はせっせと、奈良や京都のお寺巡りに精を出していた。

寺院の持つ静謐な空気の中で、一刻、我を忘れたり、
仏様の前で畏敬の念に駆られたり、その美しさに魅せられていた。



* 運慶の仏様は素晴らしい *

今では、寺院や仏像の持つ精神性についての理解も深まり、
内面から滲み出てくる重みや光も感じられるようになった。

運慶の作で有名なのは、東大寺南大門の金剛力士立像の阿形と吽形。
興福寺北円堂の無著菩薩立像、世親菩薩立像など。
力強さの上に丁寧な作りで、豊かな表情、その中にも崇高さを湛えている。

そんな運慶の作品が35軀、全てがこの冊子に掲載されている。
素晴らしい企画に感謝したい。

* * *

運慶の傑作が集結する、史上最大の展覧会は、
「興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」として、
9月26日から11月26日、東京国立博物館で開催
出来たら行ってみたい!


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足利将軍の菩提寺・相国寺塔頭「長得院」・「水辺虎図」特別公開の襖絵

2016年03月07日 | 神社仏閣・仏像
~ 水辺虎図 (京の冬の旅)冊子より ~



「京の冬の旅」キャンペーンも終盤となりました。
この度のキャンペーンでは、今まで非公開だった寺院自体の公開もあり、
前回の「養源院」に続いて、今回は「長得院」にて禅寺の美しさを堪能して来ました。

~ 相国寺境内図 ~



今回初めて公開された長得院は、相国寺境内の最も奥に位置しています。



特別公開は3月18日まで

~ 長得院 ~



室町時代の応永年間(1394~1428)中頃に創建
足利五代将軍・義量(よしかず)の菩提寺となり、
その法号に因んで「長得院」と名付けられました。
こちらも禅寺らしくすっきりとした佇まいです。

※長得院しおり参考

~ 花頭窓 ~



この独特な形の窓は「花頭窓」(火灯窓)は、元は中国から伝来したもので、
禅宗様の窓として使われていましたが、安土桃山時代頃に、そのデザイン性から
禅寺以外の仏教寺院や、仏教建築ではない神社、天守などの城郭建築、
書院造りの邸宅に使われた例もあるとのこと。

※ウィキペディア参考

花頭窓からは方丈前の庭が覗けて、一幅の絵を見るようでした。


~ 方丈前の庭 ~



柔らかな日差しを浴びて紅梅が美しく映えていました。
珍しい三段の石垣は、狭い庭に奥行を持たせるためのデザインです。
一面の苔が瑞々しさを帯びる頃には、その石垣の美しさが光るでしょうね。



左上に見える紅葉は、昨秋からの温かさで落葉せずに残っているのだそうです。
冬枯れの一角に彩りを添えていました。




室内は全て撮影不可ですので、特別公開された襖絵を画像でご紹介できずに残念です。

襖絵のある方丈は、天明の大火災後に再建されており、方丈の襖絵もこの時期に
描かれたもの。(天明ー1781~1789年)

幕末画壇の「平安四名家」の一人として知られた岸連山(岸徳・がんとく)の筆による
水墨障壁画で「水辺虎図」「波濤鷲図」「山水図」「花鳥図」などが描かれています。

岸派の三代目となった連山は京都を中心に活躍し、現在の京都御所の障壁画の
製作にも携わりましたが、中でもこの長得院の襖絵は連山の代表作。

山水花鳥画を得意とし、身近な花鳥や鳥獣を、淡彩を生かしながら墨を駆使して
描く柔和で装飾的な画風が特徴。

※長得院しおり参考

説明によりますと、この方丈の襖絵の全てを岸徳一人で描き上げ、
当時は複数の画家で描くのが当たり前の時代に、珍しいことだったそうです。


* * *

この長得院自体が今まで非公開でしたから、記念すべき拝観となりました。
相国寺境内の最も奥まったところにあり、静かで穏やかな雰囲気の中
美しい襖絵と庭をゆっくりと楽しませて頂きました。


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禅寺の美・相国寺塔頭「養源院」・秘仏「毘沙門天像」特別公開

2016年03月02日 | 神社仏閣・仏像

~ 毘沙門天像 (キャンペーン冊子より) ~

本年度「京の冬の旅」キャンペーンが記念すべき50回目を迎え、
非公開文化財である「毘沙門天像」が特別に公開されました。

古寺を訪ね歩いておられる方の記事に触発されてから、ずいぶん時が
経ってしまいましたが、やっと毘沙門天に会うことが出来ました。

* * *

この毘沙門天像 (多聞天像) は、鎌倉時代の慶派仏師の作と伝わり、像高170cm、
甲冑を身にまとい、左手に戟(げき)を持ち、玉眼をはめ込んだ眼光鋭い憤怒の
表情が勇ましくも、美しく整った容姿は惚れ惚れとしてしまうほどでした。

毘沙門天像はいろいろとありますが、これほど美形の毘沙門天像は見たことがありません。
どこか薬師寺の日光、月光菩薩の持つ、優美で気品ある雰囲気さえも感じられるようでした。
精巧なレプリカがあれば手に入れたい一体です。

※ 戟げきー槍のような武器)

* * *

~ 夢のお告げ ~

江戸時代、相国寺の近くに住む奈良屋与兵衛の夢枕に、この毘沙門天が現れて、
「我が像を修復して人々に参拝せしめよ」と告げたことから、
この像が発見されたという記録が残されているそうです。

※ 養源院、しおり参考




「京の冬の旅」の冊子はJRに置いてあります。
今回のテーマは「禅ーZEN- ~ 禅寺の美 日本文化の美 ~」

平成28年が、臨済宗を開いた臨済禅師の1150年遠諱(おんき)にちなみ、
日本文化・芸術に大きな影響を与えた禅宗寺院を中心に、普段は見学出来ない庭園、
仏像、襖絵、建築など様々な文化財が期間限定で特別公開されます。
期間は1月9日~3月18日

※キャンペーン冊子より




~ 相国寺境内の案内図 ~

太枠で囲った「養源院」と「長得寺」に伺いました。
今回の記事は養源院です。





養源院さんにやって来ました。
「多聞天」の扁額が掲げられています。
普通「多聞天」という場合は、増長天などと一緒に四天王で祀られる場合に呼ばれる名です。
北方を守る「多聞天」は単独で祀られることがあり、その場合には「毘沙門天」と呼ばれます。
※ 週刊・古寺をゆく別冊、良くわかる仏像の手帖参考

この扁額の掛かった建物(本堂)に毘沙門天像が祀られています。
普段は非公開ですから、常には「お身代わり」が立たれています。




~ 玄関へ続く前庭 ~
禅寺らしくすっきりと整っていています。
身も心も引き締まるようです。




~ 紅梅が彩りを添えて ~




~ 中庭の枯山水 ~
枯山水は禅の境地を表すものと言われています。
小石を水に、岩を深山に見立てているわけですが、
こちらに立てられているのは、岩ではなく木の切り株だそうです。

何故切り株を?という疑問はその時に浮かばず、今になって思います。
どなたか行かれることがありましたら、お尋ねになって、是非教えて下さいね。




~ 書院 ~
本堂に隣接して(廊下でつながっています)書院「相和亭」と
茶室「道芳庵」「池泉式庭園」があります。
いずれも、五摂家の筆頭・近衛家の「桜御所」から移築復元されたそうです。

この大きなガラスは江戸時代のもの、との説明がありました。
いまでこそ、このくらいのガラス板は簡単にできますが、
当時では技術的に難しく、相当高価なものだったでしょうね。
それを今に伝えておられることにも驚くばかりです。




庭園に下りることが禁止されていますので、こちらも室内からの撮影です。




相和亭内から茶室「道芳庵」と右手に腰掛待合が見えます。
こちらで一服頂けたら嬉しかったのですが、室内の撮影も禁止、
庭園を歩くことも禁止ですから無理なことですね。

文化財を守ることは大変なことですから仕方ありません。
こうして中に入らせて頂けるだけでも素晴らしいことなのでしょうね。



こうして養源院さんを案内付きで見学させて頂き、
憧れの毘沙門天にも会えて、一つ願いが叶いました。

次は長得院さんの襖絵の見学に向います。


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京都・北野天満宮の梅花祭と大茶湯

2016年02月27日 | 神社仏閣・仏像
~ 宝物殿前の梅の花 ~

2月25日は菅原道真公の命日、その遺徳を偲んで毎年この日に梅花祭が催されます。
抜けるような青い空のもと、大茶湯と天神さん(骨董市)も同時開催ですので
張り切って行って来ました。



~ 一の鳥居 ~
バス停付近からもう人、人、人の波、人でいっぱいです。
お祭りはやはりこれでなくっちゃね♪



~ 楼門 ~
全国の天満宮、天神社の総本社とあって、楼門の風格はさすがです。
参道にはいろんなお店が並んでいて、あちこちから良い匂いがしてきます。




~ 撫で牛 ~
菅公と牛には深い関係があります。
伝承、伝説によると、菅公の生年が丑年だったこと、そのせいか菅公は牛を愛し大事にしたこと、
菅公が大宰府に下る時に牛が泣いて見送ったこと、刺客から菅公を守ったこと等が伝えられています。

また、菅公自ら「遺骸を牛に乗せて人に引かさず、牛の行くところに留めよ」と遺言し、
その通りにすると、牛は安楽寺(大宰府付近)で動かなくなったためにそこを墓所としたとのこと。
ー 北野天満宮HP 参考 ー

その故事により臥牛が天神様(菅公)の使いとして、天満宮に置かれるようになったとのことです。
そしてその牛の頭を撫でると頭が良くなり、痛いところを撫でるとその部分が治ると信じられています。
今でも菅公と天満宮を守るかのように鎮座している姿には、主人を思う健気さを感じてしまいます。



~ 三光門 (重要文化財) ~
この門をくぐると本殿に至ります。
ちょうどここで神事が行われるところでした。





神職一同は冠に菜種をさしています。
これは、菅公の霊の怒り(大宰府に罪もなく左遷させられたこと)をなだめる
という音に通じたなたね(菜種)を古くから神饌として奉げていましたが、
新暦への移行等により祭事の日時が一か月ほどずれたため、それ以降菜種の変わりに
梅の花を奉げるようになり、菜種は冠につけるようになったということです。
ーウイキペディアー



ー 三光門の狛犬 ー
ここにある狛犬は大きくて立派な角を持っています。
ご神紋の星梅鉢紋の提灯と白梅が良く似合っていて、私が好きな一角です。



ー 拝殿 (国宝) ー
拝殿前の左側に紅梅、右側に松が植えられています。
この紅梅は「飛び梅伝説」伝承の木、と説明書きがありました。

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春なわすれそ」
(私がいなくなっても、春が来るたびに、忘れることなく
梅の木よ、芳しい花を咲かせておくれ)
菅公がいよいよ京を立つという時に詠んだ、梅の木への惜別の歌です。

飛び梅伝説によると、梅の木は主人を慕うあまり一夜にして菅公の暮らす
大宰府まで飛んでいき、その地に降り立ったということです。

そして、梅と同じように愛された桜と松がありましたが、桜は悲しみのあまり
みるみる葉を落とし、ついには枯れてしまい、松は梅と共に飛び立ったが
途中で力尽き、須磨の丘に降り立ちそこに根を下ろしたとのこと(飛び松伝説)
ー ウイキペディア ー

梅はいじらしく、桜と松は哀れです。
この伝説は人々の菅公への哀れみが作り出したもののように思えます。
こんなところは日本人の優しさなんでしょうね。




ー 本殿(国宝)、透塀(重要文化財) ー
拝殿の後方は本殿になっており、その本殿を透塀(すきべい)で囲まれています。

透塀は、上段、中段、下段に分かれており、
上段は、極彩色の彫刻をちりばめた欄間
中段は、朱塗りの連子窓風
下段は、塗りのない板
拝殿、本殿も美しく見応えがありますが、
この透塀も美しく整っていて必見の建物です。




ー 大茶湯、野点席 ー
こちらは三光門広場で行われる、秀吉の大茶湯に因んだお茶席です。
上七軒の芸舞妓さんのお点前とお運びで華やかなお席です。
やはりここは京都。芸舞妓さんの姿は美しくていいものですね。

お茶券は宝物館と梅園の入場券をセットで1500円
Ⅰ月25日からの販売で限定3000枚、開催時間10時~15時
当日の販売分も多く用意され、売り切れることはまず無いそうです。
長い行列でしたので、お茶席は諦めて天神さん(骨董市)に行くことに。

その後にお茶席の様子を見に行くと(13時頃)、行列はうんと短くなっていました。
ゆっくりとお茶席に入りたい方はその時間以降がいいようです。

次回は天神さんの様子をお知らせします。

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愛しのマイ仏様 菩薩半跏思惟像

2016年02月01日 | 神社仏閣・仏像

~ 如意輪観世音菩薩 半跏思惟像 ~

この16センチに満たない愛らしい仏様は、
奈良・岡寺の如意輪観世音菩薩 半跏思惟像の
アートとしてのレプリカである。

右手を頬に当てて思惟する姿は、京都・広隆寺の弥勒菩薩と
奈良・中宮寺の如意輪観世音菩薩 (共に国宝)が有名で、
どちらも素晴らしいが、可愛らしく微笑ましいという意味では
この岡寺の菩薩半跏思惟像が、私は一番に好きである。

* * *

この仏様はレプリカなので、本来は信仰の対象にはならないけれど、
穏やかで優しい姿に向き合っていると、何故か素直な気持ちになれて、
固くなった心がほぐされ、心にふわっとあたたかい風が吹いてくるのである。




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私は元祖寺ガール

2015年12月19日 | 神社仏閣・仏像

~ これは40年以上使っている私の教科書 ~

高校の修学旅行で京都、奈良の神社仏閣の見学をし、それがきっかけでお寺の虜に。
若いのに何故こんなにお寺好むのか?それは当時良く分からなかった。

友達はユースホステルを使って、北海道だの与論島だの遠くに遊びに行っていた頃
私はせっせとお寺巡りに没頭していた。

京都、醍醐寺の長い上り坂を黙々と上っていた時、年配の団体さんとすれ違ったことがあった。
口々に「若いのに偉いなあ!」「まだちょっと上らなあかんで!頑張りや!」などと
激励を受けながら、泣きたい気持ちを我慢しながら本殿まで辿り着いたこともあった。

ある時には、清水寺の下方にある小さなお堂に、吸い込まれるようにして入った時には
そこが偶然にも自分の歳と同じ19歳の厄除けのお堂だったと知り、これが仏縁というものか、と
嬉しく思える出来事もあった。

何故若くしてそんなにお寺が好きだったのか?との答えは今でも良く分からないが、
少なくとも、それからの何十年という人生の歩みの中で感じた事柄のエキスのようなものを
当時の私はそれらのお寺の佇まいから感じたのだろうと思えるのである。

赤ちゃんが自分では喋られないが、いろんなことが本能で分かっているように、、



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永澤寺 関西花の寺二十五か所霊場 第十一番札所

2014年07月04日 | 神社仏閣・仏像
                         青原山 永澤寺 (ようたくじ)
                     曹洞宗の禅寺 大本山總持寺(横浜市鶴見区)の直末寺
                     本尊は釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来の釈迦三尊

          永澤寺は、後円融天皇が室町幕府官僚の細川頼之に命じ、七堂伽藍を建立させ、応安3年(1370年)に
          通幻寂霊禅師を開祖に迎え、*勅願所とされ、さらに*青原山の勅願を受け、日本最初の*僧録となった。

               *勅願所(勅願寺) 天皇の命令によってたてられた寺のこと
               *青原山     中国の青原山は古来よりの仏教道場であり、ここから輩出された禅師によって
                         曹洞宗が確立された。
               *僧録      禅宗の僧職のことで 禅寺寺院、禅僧の管理、統轄する最高管理職を言う

          勅願所とあって、門構えにも重厚さが感じられる。
          門は外側に三つあり、向かって玉兎門、勅使門、金鶏門と並んでいる。
          写真では、向こうに勅使門、手前に金鶏門が見えている。
          この勅使門の屋根は茅葺屋根で、全国では二か所しか見られないとのことである。

          *向いにある花菖蒲園は、永澤寺さんと地元の方々が協力して守り育てているそうです。
           この時期に限らず、四季折々の花が美しく「関西花の寺二十五か所霊場」の札所にもなっています。

                        
 




    金鶏門から仁王門へ
      写真は仁王門前の池で咲く睡蓮の花。
      4月には桜、椿、水仙。5月はミヤマオダマキ、鈴蘭、ムスカリ。6月は睡蓮、セッコク。
      7月は紫陽花、菩提樹、沙羅。9月は萩、彼岸花など季節の花々が境内を彩るとのこと。
      境内の植物はきれいに手入れがなされ、植物への愛情が感じられ優しい雰囲気である。




    仁王門から本堂へ
      勅使門から直線上に仁王門、本堂と並んでいる。
      勅使門側には一対の仁王像、そして本堂側には一対の仁王様の内心仏像。
      この一つの仁王門の裏表に四体の像がある「永澤寺様式」は珍しく必見です。
      内心仏様はとても美しく、この世のものとは思えないお姿でした。

    



    金鶏門から回廊へ
      金鶏門を入るとまっすぐに伸びる回廊が見える。
      ここも無駄のない整った空間で、すっきり爽やかな気分になります。




    本堂
      背の高い木々に囲まれ静かな佇まいである。
      これまで生かされた感謝と将来への思いをお伝えし、しっかりとお参りさせて頂きました。

      本堂の横にある妙高閣には、彩色鮮やかな大観世音菩薩像が祀られている。
      開山の通幻禅師の600回遠忌を記念して、禅師の母君のお姿を観音様に代えて捧げたそうである。
      禅師は母君の命と引き換えに出生されたので、母君のお顔を知らずに育ったのである。
      ご信者様方の温かい禅師へのお心が伝わるお話でありました。
      私の心も温かいもので満たされました。 合掌

            *次回は7月9日(水)にお会いしましょう。
             雨が続くと少しひんやりしますね。体調を崩されませんようお大事に!
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紫陽花の神社 相生若狭野天満神社にて

2014年06月26日 | 神社仏閣・仏像

             紫陽花がきれいな頃となりました。
             ここは「紫陽花の神社」として地域の人々に親しまれている兵庫県相生市若狭野町にある神社です。
             国道2号線を少し北に入った所で、小高い山の上にあります。
             今回、観光案内で初めて知り、紫陽花を楽しみに出かけました。
     
             細い生活道路から急傾斜の参道を上がると本殿が正面に見え、その周囲にたくさんの紫陽花が
             迎えてくれました。

             お祀りしているのは菅原道真公と天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)-天照大神の御子のニ神。
             本殿前には天神様に因んだ牛の銅像も鎮座していて、受験シーズンには参拝者も多いことでしょう。

             また、本殿前では、お抹茶を一服いただくことができます。
             静かな境内で、茶釜のお湯が煮え、湯気の出ている光景はなかなか味わいのあるものでした。
                




   若宮(龍王神社)
     本殿脇には、海や水の神様である少童命(わたつみのみこと)をお祀りする龍王神社があります。

     「水の神様であることから、降雨祈願、五穀豊穣、ひいては富貴繁栄(金運上昇、商売繁盛)を願う
     神様として崇められている。
     さらに、龍(蛇)が秘めた強い生命力、繁殖力を持ち、天に昇る勢いで困難を打破し、運を切り拓く力を
     持つ省庁であることから、勝負運、武運、家運隆盛、子孫繁栄を願う神様としても崇められている。」
                                      *以上は、天満神社の神社紹介より
         



   魔除け神社とも
     古来より、紫陽花には薬玉のように、魔除け、厄除けの力が宿っていると信じられており、
     「魔除け神社」とも呼ばれているようです。「七夕の頃に、紫陽花の枝を軒下に吊るしておくと
     紫陽花の霊力によってその家(家族)の魔除け、厄除けとなり幸福をもたらす」とのことです。
     これなら我家でも出来そうです。

   静かな境内に咲く紫陽花からは、瑞々しい生気が感じられ、それだけでも心洗われた気がします。
   よい時間を過ごさせて頂きました。


   *これまで、毎日お付き合い頂き有難うございました。
    これからは都合により、不定期に更新させて頂きますが、今後も相変わらず宜しくお願い致します。
    次回は7月2日(水)の予定です。
    では皆さん、暑さに負けずお元気で。ごきげんよう!

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微笑みの仏様

2014年05月31日 | 神社仏閣・仏像

              これは、我家の木仏様である。
             40年前、京都東山のあるギャラリーの片隅で微笑んでおられた。
             その柔和なお顔に出会い、私の心がふんわりとしたのを覚えている。

             仏教の言葉で言う「顔施(がんせ)」そのもののお姿であろう。
             難しい経文は分からなくても、この笑顔に出会えば心が軽くなり、
             辛いことや苦しいことなどが和らいでゆく。
             温かな微笑みが、どんな薬よりもよく効き、有難いことか、、、

          微笑みの仏像と言えば、江戸時代前期の行脚僧円空上人の「円空仏」が有名だが、
          我家の木仏様はその写しである。
          円空仏の特徴は、簡素なデザイン、ゴツゴツした彫面、そして不可思議な
          微笑みをたたえているところにある。

          円空上人は生涯で12万体の仏像を彫りあげたと言われている。
          北は北海道から南は三重まで、行く先々で人々の悩みを聞き、救済の願いを
          込めて仏像を彫ったという。

          我家の木仏様は、そのうち飛騨高山の千光寺にある「三十一体観音」の
          お姿を写したもののようである。丸太を四つ割りにして四体を刻んだ
          「なたばつり」の素朴な仏様であり、穏やかなお顔が円空仏の特徴をよく
          表している代表作ということだ。

          *なたばつり(なたで荒削りにすること)

          そうして庶民に与えられた微笑みの仏像は、荒削りな仏像にもかかわらず、
          その多くが捨てられることなく受け継がれているとのことである。
          円空上人の慈悲の心は、時を超えて人々に伝えられているのであろう。

                      
                                  
                                           
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