一度紹介した銅の茶托
その時には何も分からない状態だったが
先日、山形の鋳金について調べていて
偶然にこの茶托のいろいろなことが分かった。
~ 斑紫銅の茶托 推定(三代・本間琢斎)造 ~
この茶托は
亡き父が大事にしていたもので
母が亡くなって実家の整理をした折に
私の手元にやって来た物。
いつからあったか定かでないが
思い出せるだけでも私が小学校の低学年の頃に遡る。
何十年も見ながら育ったので
その姿は目に焼き付いていた。
~ 生き生きとした五匹のネズミの盛り上げ図 ~
今にも茶托から出て来そうで
小さい頃はこのネズミが怖かった。
今は可愛いと思えるけどね。
~ 上部には漢詩と果亭の落款 ~
残念なことに文字がつぶれて読めない。
勿論、草書で達筆ということもあるけれど。
※ネズミ図と漢詩は児玉果亭
(明治時代における長野県を代表する南画家)
~ 裏側の落款 (琢斎)~
縁の下側に斑紫銅(むらしどう)の特徴がよく現れている。
※斑紫銅は赤紫色の斑紋が特徴
初代琢斎が生み出した独特の着色技術。
* * *
この落款によって
この茶托は三代目の琢斎と推定されるが
今のところ本物である確証は得ていない。
漢文の意味と共にこれからも調べていこうと思っている。
初代 琢斎(1809~1891) 新潟県(現)柏崎市出身
江戸時代後期~明治時代の蝋型鋳金家
佐渡奉行に招かれ大砲を鋳造、維新後は美術品に力を注いだ。
三代 琢斎(1868~1904)書画に秀でて各種展覧会で多くの
賞を受賞し、先代以上に本間琢斎の名を高めた。
*~ 蝋型鋳金(ろうがたちゅうきん)~*
「蜜蝋で原型を作り、その上に粘土で覆い
粘土が乾いたら火をつけて蝋を溶かし
空洞になった部分に
銅の合金(銅、鉛、亜鉛、錫)を流し込んで
原型と同じものを作る」とのこと。
※参考
新潟県生涯学習情報提供システム「フ.ラ.ネット」
一般財団法人 新潟県北方文化博物館公式ブログ
コトバンク
~ 斑紫銅の特徴である赤紫色の斑紋がよく出たところ ~
~ 躍動感あるネズミ図 ~
~ 後ろ姿のネズミと雷紋に似た続き模様 ~
* * *
父はこの茶托のどこが気に入ったのか?
どこで手に入れたのか?
もう知る由もないが
父が亡くなってからもう40年
きっとその頃よりも美しくなっているだろう。
父が見たら何と言うかな?
聞いてみたいところである。