私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

「匠の技」 一枚板の座卓

2014年03月29日 | 時空を超えて来たものたち


            この座卓は近くのリサイクルショップで見つけたものだ。
            長い間、一枚板でできた簡素なものを探していたが、なかなか気に入ったものには
            出会わなかった。

            装飾過多だったり、引き出しがついていたり、金具がついていたり、
            どこかここか気に入らない。これは見つかるまでは「長期戦だな」、そう思うしか
            なかった。

            ところが、ある時に、「ふと」、くだんのリサイクルショップに行ってみたくなり、
            何かに引かれるように行った時のことだ。

            店の奥の奥に進むと、そこにはこの座卓が何気なく置かれていた。
            一目みるなり、「これかも知れない!」、そんな気がして、右からも左からも、
            上からも下からも、どこから見ても「嫌だ」と思うところがなかった。

            望んでいた一枚板だ。しかも、釘を一本も使っていない組物だ。
            さらに、側板には露芝の透かしが入っていて風情がある。
                         *露芝:三日月形の芝草と丸い露の模様

            「あ-、考えてる間に、誰かに買われてしまうかも知れない」、私は即断した。
            以前、気に入った食器棚を2、3日考えただけで、買いそびれた悔しい思いを
            したからだ。
            この店には小さな表示があって、『出会いは一度しかない』と警告していたが、
            本当にその通りだったのである。

            それにしても、2cmもの厚みに透かし彫りを施すのは大変なことだろう。
            また、木と木を組み込む技も、今ではむずかしいことかも知れない。

            今頃、このような座卓を作れる人はいるだろうか。
            もし、どうしてもということなら、木工作家の先生に特別注文ということになり、
            とうてい私のおこずかいでは払いきれない金額になることだろう。

            そんないきさつで、この座卓は私の書斎にめでたく収まり、あとは、この上に
            小ぶりのランプを置き、ジャワ更紗の座布団を置く、というのがこれからの楽しみ
            なのである。
            又、長期戦になることは覚悟している。

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ピンク クラウン ポッポ

2014年03月28日 | 「いと をかし」なものたち

            いつの頃からか、体中を突き抜けるような、衝撃的な物に出会わなくなった。
            それなりに、「きれいだ」「美しい」「びっくり」という物には出会うのだが、
            衝撃が走るほどではない。
            
            
            
            今までに生きて来た中で、いろいろな物を見聞きして、感動する心が摩耗して
            しまったのだろうか….
            
            
            
            ところがある日、とあるジュエリ-工場のショップを覗いた時だ。
            私の体に衝撃が走ったのである。
            松田聖子の言う「ビビっときた」って、そんなものじゃない。
            
            
            
            それは、王冠を頭上に戴いたピンクの鳩だった。
            白い胸、ピンクの羽、翼にピンクのダイヤ、目は黒ダイヤ、口ばしと王冠は
            ゴ-ルドだ。(もちろん、イミテ-ションだが)
            

            
            身の丈5cmの、この小さな鳩によくこれだけの装飾を施したものだと感心する。
            しかも、このポッポ、最高にそれが似合っている。
            本当に鳩王国が存在するなら、そこの立派なプリンセスだ。
            
            
            
            そういえば、5、6才の頃か、母の鏡台で金のネックレスを発見した時と同じような
            衝撃だ。
            その煌(きら)めきは、私の脳裏を離れることはなく、今でもあの時出会った母の
            ネックレスの美しさにかなう物には出会わないのである。
            
            
            
            しかし、このピンククラウンポッポは、「小さい」「きれい」「かわいい」の三冠だ。
            母のネックレスの煌めきとは違った魅力をもって、私の心の奥底で忘れかけていた
            “夢見る少女心”を見事に引っ張りだしたのであった。
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「苔の生(む)すまで」 の本当の意味は

2014年03月27日 | 思うこと

            これは我家の北側の通路である。
            昨日からの雨で苔が瑞々しく光っている。
            この家を建ててから35年になる。
            庭に入れた土もしっかりとなじみ、ここ数年は苔が青々と広がってきた。
            近所の方に、「苔がきれいになりましたねェ」とほめていただけるまでになって
            嬉しい。
            
            しかし、ものごとにうとい私は、ここで初めて国歌の意味を理解できたのである。
            今、「君が代」を歌う、歌わないで問題になっているが、純粋に歌詞だけみれば
            素晴らしい歌だと思う。
            ♪「君が代は 千代に八千代に 細石の巌となりて 苔の生すまで」
                 *細石(さざれいし)、巌(いわお)、生す(むす)

            日本国民なら、一応誰もが知っていると思うが、「小さな石が大きな岩になる」
            ことや、「苔が生す」ことの意味を本当に分かっている人は少ないのではなかろうか。
            (私もようやく気づいたのだが…..)

            我家の苔は35年かけて、ようやく美しくなってきた。
            苔が育つには長い時間がかかるのである。
            
            そうこう考えていると、二宮金二郎の「報徳訓」を思い出した。

                父母の根元は天地の命令にあり
                身体の根元は父母の生育にあり
                子孫の相続は夫婦の丹精にあり
                父母の富貴は祖先の勤功にあり
                吾身の富貴は父母の積善にあり
                子孫の富貴は自己の勤労にあり
                身命の長寿は衣食住の三つにあり
                田畑山村は人民の勤耕にあり
                今年の衣食は昨年の産業にあり
                来年の衣食は今年の艱難にあり
                年々歳々報徳を忘れるべからず

             してみると、国家が連綿と続いていけるのも、私達の子孫が絶えずに続いて
             いけるのも、ご先祖様達の長い間の努力の賜物であり、私達にもその役目が
             あるのだと気づかされたのである。

             ちなみに、私の伯父の名は「千代松」、父の名は「岩夫」である。
             「千代に八千代に 巌となりて…..」
             名付けた父母の、子のゆく末の平安を祈る気持ちが痛いほど伝わってくるので
             あった。

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びっくりした王義之の書(おうぎし)

2014年03月25日 | 時空を超えて来たものたち

             この箱は中国茶の詰め合わせの箱である。
             ボ-ル紙で出来ているのだが、分厚くてしっかりしている。
             大きさも手頃で、手鏡やヘアピ-スなど、結髪用の道具を入れて、
             もう10年も重宝に使っている。

             
             赤字に黒で漢字がびっしりと書いてあるのだが、この10年、そこに何が書かれて
             いるのか気にもせず、ただ模様のように見ていた。

             
             それが一昨日のこと、突然に「あ-っ!あの漢字は王義之の『蘭亭序』
             (らんていじょ)ではないか!」と思い至った。

             
             王義之といえば、中国の歴史上の書家の中で最も有名な人である。
             1600年以上も前に活躍した人だ。日本でいうなら、弥生時代から古墳時代に
             かかる頃だ。

             
             また、蘭亭序は「永和九年 歳在発丑・・・」から始まる王義之の不朽の名作で、
             今でも書を学ぶ人の手本として最も有名な古典である。

             
             永和9年(353年)の春の頃、蘭亭に集まった多くの詩人により、詠まれた詩集の
             序文として書かれたものだが、その文末には、「後の人が今の我々をみるのもまた、
             今の我々が昔をみるのと同じく、やがて我々も時代から取り残されて過去の人間に
             なるであろう。それを思えば、なんと悲しいことであろうか。それ故に、この日に
             集まった人々の名を列記し、その折に詠んだ詩を書きとめておこう。
             時代が移り変わっても、人の心は同じであろう。後世の人もまた、この文を読んで
             心を動かすことであろう。」と結んであった。(富田 淳訳)

             
             文面は、まさに時空を超えている。

             
             それにしても、中国の書聖といわれる人の この有名な文がお茶の箱に印刷されて
             いるなんて、もったいないようだが、中国のお茶屋さんの心意気か…..
             たかが茶の箱、されど茶の箱。
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我、この子たちを愛す その2

2014年03月24日 | 「いと をかし」なものたち


             この子たちも「その1」の子たちと 1、2年の差で母から買ってもらったものだ。
             もう50年も前のことになる。
             

             その頃、母は中学校で養護教諭として働いていた。
             職業柄、修学旅行にはいつもついて行かなければならなかった。

             
             その間、父と留守番をするのだが、母の帰りも待ち遠しかったが、
             さらに待ち遠しく思うのは そのお土産だった。
             この「こけし」たちは、母の修学旅行のお土産だったのだ。

             
             行先は東京・鎌倉だったが、どこで買ったのだろう。
             なぜか、今まで一度も聞いたことがない。
             母は覚えているだろうか… 今度聞いてみよう。

             
             それにしても、この子たちは、本当に可愛いい。
             いつもニッコリほほえんでいる。
             男の子は「福」、女の子は「寿」だ。
             私が幸運なのは、この子たちのおかげかも知れない。
             50年の時を経て、胴体の色も字もかすれてしまったが、母との思い出は
             色鮮やかに残っている。

             
             こんな形で、自分が居たことを、子や孫たちに残してゆくのもよいの
             かも知れない。
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着物姿を褒められたの巻

2014年03月22日 | 着物の楽しみ


              「いやあ-、和服姿はいいですねェ」
              突然後ろから声をかけられた。
              振り返ると、70代半ばくらいの紳士である。
              「あ-、ありがとうございます」
              「私の母親が着物好きでしてねェ。そのせいか、私も好きでよく着るんですよ。」
              「え-っ、そうですか。それは嬉しいですね。」
              「その着物の色と道行の色がよく合っていますなァ。絶妙ですわ!」
              「ありがとうございます」
                        *道行:着物の上に羽織る半コートのようなもの。
              「和服は日本の文化ですよ」
              「はい!そうですねェ!」
              「では」…. そう言って紳士は去って行った。

              この時は、某先生の名誉師範拝受祝賀茶会に賀客としておよばれされていたのだ。
              賀客としては、精一杯の祝意を装いで表さねばならない。
              しかし、張り切りすぎてはいけない。微妙な加減が必要なのだ。
              主役を引き立たせつつ、自分もちょっとは光りたい。
              そんな思いで選んだのが、この一揃いである。
              一つ紋の色無地の着物に、牡丹唐草金襴の帯である。
              当日は、この上に赤茶の道行を着用していた。色合わせが「絶妙」とお褒め
              頂けたのは嬉しいことであった。


              そう言えば、長女誕生の折だが、御年90のおばあちゃまが、お祝いに来て
              下さった。その方は、私が生まれた時からのことを知っていて、「養女に」
              とまで言って下さった方だ。

              ご高齢にもかかわらず、すっきりと着物を召され、その上に黒紋付きの羽織を
              重ねておられた。
              その時には、気品のある素敵なお姿だなァと感じたのだが、今ならば、きちんと祝意を
              装いに表して下さっていたのだと、よく理解できるのである。

              そして、その方の年輪が感じられる装いは、そう簡単に出来たものではないだろうと、
              想像がつくようになったのである。

              「ロ-マは一日してならず」、「着物姿は一日にしてならず」である。
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海の女王 クイ-ン・エリザベス号

2014年03月21日 | 旅の楽しみ


              平成26年3月19日 水曜日 快晴
              英国の「世界で最も有名な客船」と称される三代目「クイ-ン・エリザベス号」が
              神戸港に初入港した。記念すべき日である。

              前日に横浜港を出港し、今早朝に神戸港に入港した。その時の歓迎セレモニ-の
              様子である。神戸市の消防音楽隊が歓迎演奏を披露したそうだ。

              これは、テレビのニュ-スの映像を写したものだ。
              大勢のファンが歓迎している様子が映っている。
              私はこの時間に来ることができずに残念だったが、この映像によって、入港
              間もないクイ-ン・エリザベス号の姿を見ることができて有難かった。





              それにしてもこの迫力はどうだ!
              右下に見える小さな人影と比較すると、どれほどの大きさか想像できるだろう。
              全長294mの世界でも最大級の大きさだ。
              国会議事堂の奥行よりも長く、赤レンガの東京駅舎の端から端までの長さに匹敵する。
              さらに言えば、東京都庁の展望台が45階にある。ここまでが地上202mだ。
              クイ-ン・エリザベス号を立てると、さらに92mも高いことになる。
              この巨大な船が航行する様子は、まさに威風堂々だ。





              英国 サウサンプトンを1月10日に出港し、5月9日に帰港するまで、
              アジアやヨ-ロッパ各国を巡り世界一周するとのことだ。

              ポ-トタ-ミナルで出会ったご夫妻は、3年前 この船が処女航海をする時に、
              18日間の地中海クル-ズを利用したと、懐かしそうに話しておられた。
              神戸港に寄港と聞いて、いても立ってもいられず、会いに来たのだと。
              家を売ってでも又乗りたい、とも言っておられた。
              海好き、船好きの私には 心からよくわかる話だった。





              陸から見るだけでは物足りなくて、「クイ-ン・エリザベス号観覧クル-ズ」の
              船に乗ってみた。
              クイ-ン・エリザベス号の横でしばらく止まり、その後 くるりと船首を回して、
              右舷の人にも、左舷の人にも、よく見えるようにサ-ビスしてくれた。
              おかげで この巨体の全体像を撮ることができたのだ。1000円払った甲斐が
              あったというものだ。

              それにしても、なんとエレガントな船なのだろう。
              クイ-ン・エリザベスの名を冠するだけのことはあるだろう。

              ちなみに、観覧クル-ズ船の名は「ロイヤル・プリンセス」だった。
              「女王」を見るのに「プリンセス」というのが、可愛らしいではないか…
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天神さんの梅の花 その3

2014年03月20日 | 旅の楽しみ


               この狛犬 まことちょうどよい所に鎮座している。
               梅の花に囲まれ、ご神紋の提灯までよくお似合いだ。
               狛犬のこれほど素敵な光景を見たことがない。

               しかも、この狛犬は金の角を持っている。
               ただの角ならまだしも、金角となると特別な扱いだろう。
               天満宮をお護りするのにふさわしい格調高さを与えられているように思える。
               さすがは全国天満宮の総本社の貫録だ。

               それにしても、つくづく感心するのは、狛犬を囲む梅の枝ぶりである。
               ただ伸ばし放題にしたわけではないだろう。
               梅の木は切らないと、よい枝ぶりにならないといわれる。
               しかし、この絶妙な枝ぶりはどうだろう。

               梅も引き立ち、狛犬も引き立つ。両方が引き立て合っている。
               梅にも狛犬にも、両方への愛情がなければ、こうはならないだろう。
               素晴らしいの一言だ。
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天神さんの梅の花 その2

2014年03月16日 | 旅の楽しみ


               飛梅(とびうめ)伝説

                 「東風吹かば にほひおこせよ梅の花
                  あるじなしとて 春なわすれそ」
                 (私がいなくても 春が来るたびに忘れることなく
                  梅の木よ 芳しい花を咲かせておくれ)

               道真公がいよいよ京を立つという時に詠んだ梅の木への惜別の歌である。

               伝説によると、梅の木は主人を慕うあまり、一夜にして道真公の
               暮らす大宰府まで飛んでいき、その地に降り立ったという。

               そして、梅と同じように愛された桜と松の木があった。
               桜は悲しみのあまり、みるみる葉を落とし、ついには枯れてしまった。
               松は梅とともに飛び立ったが、途中で力尽き、須磨の岡に降り立ち、
               そこに根をおろしたそうだ。
               桜も哀れ、松も哀れだ。


               天神さんと牛

               道真公は丑年生まれらしい。それで牛を愛したのかは定かではないが、
               牛はよく道真公になついて、道真公もまた牛を大事にしたそうだ。

               他にも牛との伝承は数々あるが、道真公の遺言には心ひかれた。
               それは、道真公自ら、「自分の遺骸を牛にのせてひかせ、その牛の行く
               ところにとどめよ」と遺言されたことだ。
               その牛は黙々と東へ歩いて安楽寺(現在の大宰府あたり)で動かなくなり、
               そこを墓所と定めたと伝えられている。
               道真公はいかに牛を深く愛していたことだろうか…


               天満宮をぐるりと囲むように咲く梅の花、天満宮に寄り添い守るかのように
               座る牛、その姿には主従の深い愛情があふれている….
               そんな気がしてならない。


               *明日から19日までお休みします。20日にまたお会いしましょう。
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天神さんの梅の花 その1

2014年03月14日 | 旅の楽しみ


               ここは天神さん。菅原道真公をお祀りする京都の北野天満宮である。
               紅白の梅がこぼれんばかりに咲いている。
               美しすぎて、ほろほろと酔ってしまいそうだ。

               枕草子で清少納言は、「花の咲く木は紅梅が一番だ。紅色が濃くても
               薄くても趣がある」と言っている。
               私は、恐れ多いが、それにちょっと付け加えたい。
               「紅梅の美しさは白梅があってこそ輝くのである」と。
               白梅の中に少し紅梅が混じるくらいが、私的には一番美しいと思える。


               梅の花がさまざまに咲くように、それを愛でるにもいくつかの呼び名が
               あるようだ。

               まだ春浅く寒い頃に、二、三輪の花を探しながら鑑賞することを「探梅」
               (たんばい)と。
               少し暖かくなり七、八分咲きのちょうど見頃の花を観賞することを「賞梅]
                (しょうばい)と。
               また、いよいよ暖かさが増し、満開となった花を惜しむように鑑賞する
               ことを「送梅」(そうばい)と言うのだそうだ。


               この、こぼれんばかりの梅はちょうど「賞梅」の頃であった。
               ふっくりとして、玉のような蕾がまだあちこちにある内が一番の見頃だと
               言うことだろう。

               それにしても、簡単に言い表せないさまを、一語で言い当てる日本語は
               本当にすばらしい。
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日本のエ-ゲ海 牛窓 その2

2014年03月13日 | 旅の楽しみ


               青と白のコントラストが美しい。
               「日本のエ-ゲ海」と呼ばれるにふさわしい景色だ。
               牛窓沿岸の高台には別荘やホテルが立ち並んでいる。
               この白いホテルのバルコニ-からは、眼下にヨットハ-バ-が一望できる。

               牛窓は古い蔵や古刹もある歴史の町だが、ヨットハ-バ-の町でもある。
               400隻ものヨットやクル-ザ-が停泊できる西日本最大のスケ-ルだ。
               ここから南の島までセ-リングに出かける人も多いそうだ。
               何やらゆったりした気分になる。


               人は皆、それぞれの人世航路を進んでいる。
               私たち夫婦もそれなりの航路を進んできた。

               私は学生の頃、徳島にいて、彼は兵庫で働いていた。
               私の負担を考え、いつも海を渡って来てくれた。
               瀬戸内海は、いわば恋の通い路だったのだ。

               そして、私が結婚のために退職するとき、皆の前で歌ったのは
               「瀬戸の花嫁」だったことは…….
               言うまでもない。

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日本のエ-ゲ海 牛窓 その1

2014年03月12日 | 旅の楽しみ

               牛窓は素敵な所だ。何度も足を運んでいる。
               今日は風があるせいか、さざ波が立っている。
               キラキラ 光って 美しい。
               あちらが光って こちらも光る。
               いくら見ていても 飽きない。

               牛窓は岡山県瀬戸内市牛窓町のことだ。
               「日本のエ-ゲ海」と呼ばれている。

               その昔、この地を訪れたギリシャ人が、生まれ育ったエ-ゲ海の風景に
               似ていると感激したことから、そう呼ばれるようになったという。

               青い海に小さな島々が浮かんでいる。
               はるか向こうには、小豆島や四国も見える。
               本当に美しい景色だ。

               今度来るときは、この港からヨットクル-ズに出てみよう。
               楽しみは膨らんでゆく.....

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中国の染付

2014年03月11日 | 時空を超えて来たものたち


                白地にコバルトブルーで文様が描かれたこの染付「青花人物紋水瓶」だが、
                一目で気に入った。

                やわらかな曲線、ぽってりと厚みのある器体、そして何より、
                そのエキゾチックな文様が美しく魅力的だった。

                しかも、結構古そうだ。
                底を見ると、「康熙年製」と年款があった。
                康熙と言えば、清の4代皇帝康熙帝の時代だ。1662年から1722年の間のことで、
                今から300年も前のことになる。

                この年代のものが、本来ならば私の手に届くはずがない。
                しかし、幸運なことに小さなキズがいくつかあった。
                それで、私の手元に納めることができたのだ。
                この美しい水瓶なら、少々のキズは私的には何も問題はなかった。

                以来、時々眺めては楽しんでいる。
                最近は、松とヤブツバキを合わせて入れてみた。
                染付の青に、松の緑とヤブツバキの赤が映えて、益々美しく見えた水瓶で
                あった。


                300年もの長い間、この水瓶はいったいどこを旅して来たのだろうか。
                私は夢見る思いでこの水瓶を見ている。

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雪椿

2014年03月10日 | 「いと をかし」なものたち


               この椿 なんと美しく健気な名前をもらったことだろう。

               雪椿をインターネットで調べてみると、
                「東北地方から北陸地方の日本海側の多雪地帯に分布している。
                 冬は数メートルの雪に覆われても、その雪の重みに耐え、
                 春の雪解けが始まるとその姿を現す。すると倒れていた枝が
                 次第に立ち上がり花をつける。雪国に春を告げる花」
               とあった。

               太平洋側に分布するヤブツバキが、多雪地帯の気候に適応したものと
               考えられているそうだが、それにしてもずいぶん忍耐強く適応したものだ。

               私は雪椿のそんな健気さを愛している。
               雪国の暮らしは過酷だ。人々もそれに耐え、健気に生きている。

               「♪花は越後の雪椿」と小林幸子が歌っている。
               80万枚のヒット曲だったそうだ。
               雪椿の持つ健気な美しさが切々と歌われている。

               我家に咲く雪椿 せっかく雪国に適応したのに、この瀬戸内の暖かい所に
               連れてこられて数十年、夏の厳しい暑さに耐えて、それでも健気に
               咲いている。この気候に順応してまた元のヤブツバキに戻りはしないかと
               ちょっぴり心配している。

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我 この子達を愛す その一

2014年03月06日 | 「いと をかし」なものたち
             

                   この子達、もう数十年もの間 私と人生を共にしている。

                   七、八歳の頃に母から買ってもらったものだ。

                   それ以来、毎日この子達の顔を見て暮らしている。

                   今では木地が飴色に変わり、あちこちにシミやキズも出来たが、

 
                   着せられている着物の色や柄などは、大正時代か昭和の初め頃の

     
                   雰囲気で、なかなかいい味わいだ。

                   あともう少し頑張れば、「骨董」と呼ばれるようになるかも知れない。



                   首が回るように作られており、振動によって、男の子と女の子がおでこを

                   ひっつけていたり、どちらかがそっぽを向いていたりする。ひっついて

                   いる時は「よしよし」とそのままにしておくが、そっぽを向いている時には、

  
                   「これはイカン!」とそそくさと直している。

                   毎日、毎日、見ていて楽しい。私は本当にこの子達を愛しているのだ。


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