~ 白玉椿 と青花人物文水瓶 ~
今年は一段と、白玉椿( しらたまつばき ) がきれいに咲いた。
それで庭の千両を切ってきて、お気に入りの水瓶に
一緒に入れてみると、きちんと納まってくれて中々良い姿になった。

実は、この青花人物文水瓶の登場は、今回が初めてではなく、
平成26年の3月11日に一度登場させているのである。
器体はぽってりと厚みがあって、柔らかな曲線と
エキゾチックな文様が美しく、骨董市で一目見て、
ゾビゾビと鳥肌が立って買わずにおれなかったものである。
~
~
どうやら
清の四代皇帝康熙帝の時代 (1662~1722) のものらしく、
ざっと数えても300年は昔のもの。
そんな大層なものを、何故私が手に入れられたのか?
その時の私は、こんな風に説明していた。
「この時代のものが本来ならば、私の手に届くはずが無い。
しかし、幸運なことに小さな傷がいくつかあった。
それで私の手元に納めることが出来たのだ。
この美しい水瓶なら、少々の傷は私的には何も問題は無かった」と。
そして
300年もの間、この水瓶はいったいどこを旅して来たのだろうか、
私は夢見る思いでこの水瓶を見ている。
と結んでいた。
* * *
今、改めて思うことは
この水瓶は、きっと、私の手を離れても、
ずっと遠くまで旅をして行くに違いない。
ということである。
今年は一段と、白玉椿( しらたまつばき ) がきれいに咲いた。
それで庭の千両を切ってきて、お気に入りの水瓶に
一緒に入れてみると、きちんと納まってくれて中々良い姿になった。

実は、この青花人物文水瓶の登場は、今回が初めてではなく、
平成26年の3月11日に一度登場させているのである。
器体はぽってりと厚みがあって、柔らかな曲線と
エキゾチックな文様が美しく、骨董市で一目見て、
ゾビゾビと鳥肌が立って買わずにおれなかったものである。
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どうやら
清の四代皇帝康熙帝の時代 (1662~1722) のものらしく、
ざっと数えても300年は昔のもの。
そんな大層なものを、何故私が手に入れられたのか?
その時の私は、こんな風に説明していた。
「この時代のものが本来ならば、私の手に届くはずが無い。
しかし、幸運なことに小さな傷がいくつかあった。
それで私の手元に納めることが出来たのだ。
この美しい水瓶なら、少々の傷は私的には何も問題は無かった」と。
そして
300年もの間、この水瓶はいったいどこを旅して来たのだろうか、
私は夢見る思いでこの水瓶を見ている。
と結んでいた。
* * *
今、改めて思うことは
この水瓶は、きっと、私の手を離れても、
ずっと遠くまで旅をして行くに違いない。
ということである。