江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

榎本武揚 顕彰碑騎馬像

2008年07月01日 | 歴史・文化
 蝦夷共和国総裁であった榎本武揚(たけあき)が、函館戦争後開拓使に出仕していましたが、明治6(1873)年、宮城県涌谷移民跡地の払下げ(大岡金太郎名義)を受けて、対雁に農場を開きました。その後、大正8(1919)年に農地を開放しています。

 対雁は、黎明日本の明治政府における要職を歴任した榎本武揚が北海道開拓の雄志を託し、農場を開いたゆかりの地であり、江別市の発祥地でもあるのです。
 
 これらの史実を長く後世に伝える記念とするため、対雁住民の総意を込めて榎本武揚顕彰碑が建立されました。
 なお、榎本武揚は、明治8(1875)年の日露戦争千島樺太条約の際に、特命全権公使としてロシアに赴任しました。

(参照)当ブログ6月12日(木)「村名選定ー江別村」
    当ブログ6月11日(水)「江別屯田兵入地」

註)江別市教育委員会「史跡が語る江別の歩み」73頁。
写真:榎本武揚顕彰碑騎馬像(1970年6月建立)2007年撮影掲載いたしております。
   江別市工栄町榎本公園内
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