江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

野幌兵村

2008年07月22日 | 歴史・文化
 明治18(1885)年5月、「屯田兵例則」が廃止され、新たに「屯田兵条例」が制定されました。その眼目は、(1)屯田兵が、「屯田憲兵」から「准陸軍兵」の一部に位置づけられ、(2)北海道全域に徴兵令を適用する時は、屯田兵制度を廃止する、の2点でした。同時に、屯田事務局を屯田兵本部と改め、本部長に陸軍少佐 永山武四郎が就任しました。

 明治18(1885)年に、野幌第一次屯田138戸が入地、翌(1886)年87戸、計225戸の士族屯田の兵村が形成されたのです。野幌追給地の大半は、現在の大麻です。
 野幌兵村の兵屋は、明治11(1878)年入地の江別屯田の北方寒冷地型住宅でも、明治14(1881)年の篠津屯田のロシア式でもなく、和式木造切妻平屋17坪5合(間口5間、奥行3.5間)・内部は四畳半に六畳の和室と炉を切った板の間、それに土間でした。

 この野幌兵村の場合、後に模範的な酪農村と言われました。乳牛が増加し、協同牧場や協同集乳場所ができ、さらに赤い煉瓦のサイロが目立ち始めていきました。
(参考)当ブログ7月18日(金)「北海道三県の管轄区画と県庁の位置」
    当ブログ7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
    当ブログ7月 6日(日)「西洋式江別兵屋とロシア式篠津兵屋」
    当ブログ7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
    当ブログ6月27日(土)「樺太・千島高官条約締結」
    当ブログ6月26日(金)「移民扶助規則2」
    当ブログ6月11日(水)「江別屯田兵入地」
    当ブログ6月 9日(月)「場所請負制の成立」
    当ブログ6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註)江別市教育委員会「新江別市史」参照。
写真:野幌屯田兵屋
   北海道江別市野幌寿町19<湯川公園内>
   明治19(1886)年に広島県から入地した湯川忠継(戸主千代吉)一家が生活していた和式兵屋を、修理回復した建物です。
   内部には、当時の生活用品や農具等が展示され、一般公開されています。


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