江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

江別村商家

2008年07月21日 | 歴史・文化
 江別村最初の商家は、江別屯田(明治11年入地)の樋口某の床屋という説がありますが、確認された訳ではございません。また、「北海開発事績(地方振興事績調査会/大正10年9月刊)に、明治16(1883)年頃、藤原由蔵が江別駅前で運送業を開始云々と記載されています。あるいは、市街には「4,5年前より34の商法家移りけり」(明治20年8月8日付北海道毎日新聞)とも報じられています。これらから推測すると、幌内鉄道の敷き設工事がこの地の商業の端緒となったといえます。

 当時の商家で名前が明らかにされている商家は、明治18(1885)年開業の松丸巳之助(江別まんじゅう)、同23(1890)年8月開業の雑貨商工越後屋、根元徳蔵の江別旅館等,数は少ない。これは、当時の商業の多くが寄留者としての営みであり、一部を除き泡沫のごとく消えた雑商であったからではないかという見方がされています。

 これらのうち、松丸商店が製造販売していた「江別まんじゅう」は、野幌駅の「煉化餅」(上部写真)と共に知られていました。
 明治36(1903)年、北海道史の泰斗河野常吉は、清国(現中国)から来日した家譲らを旭川、室蘭方面へ案内した時、江別駅で「江別まんじゅう」を買い求め、「これは、江別マンジュウと言います。お口に合うかどうか分かりませんよ」と褒めていました。(「評伝河野常吉」)。

 現在の江別市内には、「煉化餅」の「山サ煉化餅本舗株式会社」をはじめ江別製粉など、江別名物を生産し続けるモノづくり長寿企業が多数所在しています。
 なお、2002年7月、米津製菓さんが引退されたため、「江別まんじゅう」は「山サ煉化餅本舗株式会社」にて引き継がれています。
ぜひ、ご賞味ください。

(参考)当ブログ7月11日(金)「地域密着店<有限会社やまほ>特夏祭!開催のご案内
    当ブログ7月 8日(火)「江別名産を食す!」
    当ブログ7月 4日(金)「駅逓所開設」
    当ブログ7月 2日(火)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
    当ブログ6月22日(月)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
    当ブログ6月14日(日)「江別市名産!ヤツメウナギ」
    当ブログ6月12日(木)「村名選定ー江別村」
    当ブログ5月29日(木)「江別文化」

註)「新江別市史」江別市教育委員会 参照。
写真:「山サ煉化餅本舗株式会社」
   江別市野幌町8-4

山サ煉化餅本舗株式会社「煉化餅」については、下記をご覧下さい。
http://www.nopporosyoutenngai.com/omise/renga/top.htm

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