
40年代の児童生徒数の急増ぶりは、目をみはるものがありました。
そのため、最大能力1万食の同センターは、たちまち限界に達することになりました。
すなわち、開設からわずか4年後、48年5月からの新入学児(小学1年生)の給食が開始されると、1日の配色数は10,150食前後にまで増加しました。
市教委では、センター増設を検討しましたが、既存敷地が都市計画上の第2種住居専用地域であることから、増設は既設の2割以内しか認められず、やむなく他に第2給食センターを建設せざるをえなくなりました。
第2センターは、49年11月、対雁(ついしかり)の江別工業団地内に江別市立学校給食センター対雁調理場として開設しました。
鉄骨補強コンクリートブロック造平屋建761平方メートル、調理能力は1日6千食、総工費は約1億4,200万円でした。
同調理場の完成により、今までのセンター調理場が野幌、大麻(おおあさ)地区の小・中学校を担当し、対雁は江別地区の13の小・中学校合わせて4,300食を受け持つ分担体制をとることになりました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」525-526頁.
写真:旧対雁小学校(昭和47年9月石狩川築堤改修工事のため移転)
同上書523頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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