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江別漁業協同組合は、日本で唯一のヤツメうなぎ専業漁協としてしられていました。
治水工事の進展と石狩川流域におけるさまざまん産業活動の活発化は、漁獲高に大きな影響を与えずにはおきませんでした。
江別漁業協同組合では、50年代初頭からふ化実験や捕獲した中から卵の熟していない稚魚を放流したり、産卵期の6~8月は資源保護のため休業するなどの諸対策を講じてきました。
昭和61年は、ここ10年間で最高の漁獲量となりましたが、従前と比べ魚体が小さくなったことが目立ちます。
すなわち、体長50センチ(普通)と40センチ以下(ピン)に分けると、ピンが全体の6割前後を占めるようになりました。
ヤツメは、東京の水産加工業者やその他の民間加工業者へと捌かれ、薬の原料となり、栄養剤として市販されるなどしていますが、市内においても、さまざまん調理方法が工夫されています。
古くは、ヤツメの蒲焼きが店頭販売されていましたが、その後、北海道全調理師会江別支部が中華や鮨の開発を試み、また近年は野幌の郷土料理店がつくだ煮風パックなどを開発しました。
さらに、昭和60年11月、鮨店、仕出し店、居酒屋、中華料理店の6店が江別ヤツメ加工協同組合を発足させ、加工場を設けてヤツメかば焼き真空パックえぞうなぎや栄養ドリンク剤ガンバルクンなどの製造を開始しました。
また、同じ年の61年2月、学校給食にも、ヤツメカレーが登場するなど、特産品ヤツメの消費拡大に向けさまざまな試みがなされました。
平成2年5月、石狩川左岸の河川敷地で、はじめての八つ目うなぎ祭りが行われました。
明治時代からの伝統的な漁法や養殖事業の市民PRを通した消費拡大イベントですが、江別漁協が市民の中に一歩踏み込んだ試みとして注目されています。
山崎春治江別漁協組合長によると、平成4年現在の組合員数は22人、平均年齢は約60歳、80代2人を含め、かなりの高齢でした。
組合員20人を切ると、共同漁業権が設定できないなど、当面する問題も少なくありません。
40年代まで石狩川本流で相当の漁獲のあったわかさぎも、現在は石狩の茨戸の養殖のみで、市内における養殖池の確保が急がれます。
その他、アカハラの加工法の開発など、山積する課題の中で、いま内水面漁業は重大な局面に立たされています。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」671-672頁.
写真:ヤナドウ
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