江別創造舎

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開拓使廃止に伴う勧農政策の変化―博覧会・共進会開催

2008年08月22日 | 歴史・文化
 開拓使の廃止に伴い、諸官園が農商務省の管轄下に入ったことは、三県時代の勧農政策の変化を最も端的に表す事柄でした。

 明治14(1881)年、農商務省の成立以後、全国における勧農の方針は、「汎奨主義」を捨てて「専奨主義」をとると表現されるように、特定の作物(蚕桑・製茶など特用作物および米・麦)、家畜(牛・羊・豚)に目標を設定して奨励するように変化しました。そこで農具については、西洋農具の再検討が行われ、外国よりの農具輸入は途絶えました。稲苗の輸入数量も漸減する傾向にあり、特用作物その他若干の新品種が輸入され、府県に配布されたに留まりました。開拓使の諸官園も当然こうした新しい方針の影響を受けたと思われます。

 明治15(1882)年3月、東京第三農業試験場は御苑に加えられ、東京官園は最終的に消滅しましたが、この東京園こそ外国より輸入した動植物の北海道への中継的培養場であり、また西洋農具使用の試験、伝習の場所であり、欧米農法導入の主要な窓口でした。東京官園以外の道内諸施設は、農商務省以後もほぼ従来の規模で業務を継続しましたが、そこには種々の問題がありました。
 
 その一つの問題は、省と県との勧農業務の不統一でした。例えば、明治15(1882)年4月および6月、函館県令時任為基は、農商務卿に対し、七重勧業試験場の函館県所属換えを上申しましたが、そこで「実際事務両途ニ出テ支梧ヲ生」ずる恐れを種々述べています(北海道事業管理局の農業ー七重試験場引継書)。この上申は聞き届けられず、後には同場吏員の若干を県勧業課兼務として双方の調整を図りましたが、「兼務後一モ本県ノ為事務ヲ取扱フナク今日マデ有名無実ニ帰セリ」(金子太政官初期官依嘱取調書)といわれる。
 もう一つの問題は、第一の問題に関連するが、これまでの勧農政策は官の協力な保護ないしは干渉が建前となって、かつ農業・牧畜・養蚕の全体的視野に立って実施されてきましたが、置県以後は一時的にもそれらの条件が失われたため障害が起きました。それには、海陸運輸の不便と農作物買上げの停止による農産物販路の閉塞があり、さらに、開拓使創始の諸事業が停頓したため金融・商況が悪化し、その影響が農業にも及んだことなどが挙げられます。
 
 そして、農業一般が不況に見舞われましたが、各県および農商務省はさまざまな施策を通じて、その回復と発展を図ろうとしました。
その施策の一つが、博覧会・共進会の開催および出品でした。
 北海道における官設の博覧会は、明治11年札幌に農業仮博覧会を開催しのに始まり、以後札幌と函館で隔年交替に開催し、明治13(1880)年には農産物以外の産物も、事情によっては出品できることとしました。
 明治15(1882)年5月には農業仮博覧会を開拓使の旧規によって三県交替で開催することを農商務省に稟請して裁可を得、三県連合して同年10月に第三回札幌農業仮博覧会が開催されました。翌16(1883)年からは北海道物産共進会と称し、その目的も、これまで農業を中心としていたのを「農工商漁ヲ問ハス都テ本道ノ産出ニ係ル物産ヲ蒐集シ、其精粗優劣ヲ品評シ、専ラ改良進歩ヲ図ル」(函館県布達々全書)ことに改め、この年は函館で開催し、翌17(1884)年には札幌で、18年には初めて根室で開催されました。

 明治18(1885)年10月に農商務省は翌年からの北海道物産共進会のあり方について令し、各地の特有物についてその種類を定め、例えば札幌県は陸品、函館県は製品、根室県は水産とするような目的をもって、三県連合して毎年開設の方法を協議させました。同年11月根室で開かれた共進会では動物31種、植物1800種、製造物1428種、参考品88種の出品があり、総覧者は5300人余に上りました。

 道外の博覧会・共進会への出品も、開拓使時代に引き続いて行われ、明治15年に開かれた第一回内国絵画共進会に、札幌県3人が出品しました。翌16(1883)年3月には東京で第一回水産博覧会が開催されましたが、これは第一回(明治10年)・第二回(同14年)内国勧業博覧会に水産についての部門が設けられず、さしたる成果がみられなかったため、農商務省の主催によって開かれたものです。これに対する出品数は、函館県175、札幌県295、根室県151で、出品人員は359人であり、このうち受賞者数は1等賞牌2人、2等3人、3等8人、その他合計90人でした。
(参考)当ブログ8月21日(木)「F'sフェスタin江別ー森と水に育まれた大地」開催のご案内
    当ブログ8月19日(火)「北海道をめぐる商品の流通」
    当ブログ8月11日(月)「ひとつ鍋」
    当ブログ8月 7日(木)「北海道事業管理局の設置」
    当ブログ8月 6日(水)「耕馬の活躍」
    当ブログ8月 4日(月)「樹林地帯からの開墾」

註:北海道「新北海道史第三巻通説二」811-814頁参照。
写真:「十河定道復命書(複製)」
   北海道開拓記念館2007年撮影許可を得て掲載いたしております。

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