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江別創造舎

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江別市文京地区建設条例の制定

2009年04月11日 | 歴史・文化
 昭和43(1968)年5月、江別市西野幌地区は、指定用途地域の指定を受けました。

 文京地区一帯が、新たに住居地域と住居専用地域に指定され、風俗営業関係などの建築が規制されることになりました。その後もこれに類似した事態が幾度も起こりました。例えば、昭和46(1971)年、国道12号線から南へ50m幅の住居地域(住宅のほか生活関連の店舗等の建設が認められる)にボーリング場が建設されました。そこで、「真の文教地区としての指定を行い建設制限を行う」(昭和43年4月議会、助役答弁)ため、都市計画審議会の了解を得て、6月議会に「江別市文教地区建設条例の制定について」を上程しました。

 江別市文教地区建設条例の骨子は、文京地区内における建築物で、特に風俗営業、個室付浴場、あるいは工場などの建築制限を行い、環境保全を図ろうというものでした。審議の結果、急を要するとの判断から条例の告示と同時に発効すると修正のうえ可決しました。
 継いで、江別市は昭和46年(1971)年7月の都市計画審議会に西野幌の用途地域347ヘクタールを文教地区に指定することを諮問しました。審議会は、これをそのまま認め、答申となりました。市は早速、道の地方都市計画審議会に指定を申請、同年7月28日、道内ではじめての文教地区指定が実現したのです。

 さらに、市は、この地区の町名を文教地区にふさわしいものとするため、新町名を募集しました。その結果、文教地区のうち、とりあえず区画整理事業の完了した厚別境から札幌商科大学(現札幌学院大学)手前までを、地域住民の意向に添い、昭和48(1973)年6月、文京台と命名しました。この時の住民応募は130通、うち第一位が文京台、二位以下に文教町、学園町、文京町などが続きました。こうした命名傾向からも、実態は勿論のこと、将来的にも文教地区として成熟を願うことが地区の一致した希望であることがわかります。

(参考)
当ブログ2009年 4月 1日(水)「戦後の教育制度の大改正」
当ブログ2009年 3月31日(火)「文教のまち森のまち江別」
当ブログ2009年 3月30日(月)「全国唯一酪農学科開設ー酪農学園大学」
当ブログ2009年 3月23日(月)「文教地区の形成」
当ブログ2009年 3月16日(月)「文京台の誕生!」

註:江別市総務部「新江別市史」578-579頁.
写真:旧名新野幌の標識が唯一残る交差点に掲げられた「文京台標識」
 北翔大学、札幌学院大学に通じる国道12号線交差点の標識を撮影
 

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