王子製紙の航空機製作所への転換に伴い、産業設備営団等が飛行場等用地として、いわば強制的に買い上げた農地は、372町4反5畝28歩です。
そのため、耕作者はそれぞれ各方面に散らざるを得ませんでした。
昭和20年8月15日の終戦とともに、この広大な飛行場跡地は、元の耕作者、旧王子従業員、はたまた近在の人びとが入り込み、折からの食糧難から野菜づくりに励むことになります。
いわば、戦後の混乱期、成り行きまかせ、無法状態も手の施しようがありませんでした。
21年も然りでした。
<江別カルタ関連句ご紹介>
「せ」 戦闘機 キー一◯六と 呼んでいた
(参考)
当ブログ2016年 9月27日(火)「戦後農地改革の実績」
当ブログ2011年 12月 5日(月)「引き揚げ者の状況」
当ブログ2011年 11月 5日(土)「旧飛行場跡 木製戦闘機と戦争」
当ブログ2011年 7月17日(日)「企業整備令施行」
当ブログ2009年 1月15日(土)「王子航空機の会社設立と江別飛行場建設」
当ブログ2008年 9月25日(木)「富士見座」
*上記参考過去ブログ記事は、左側のバックナンバーの箇所から該当年度をクリックしてカレンダーより見たい日付をクリックするとご覧いただけます。
註 :江別市総務部「えべつ昭和史」827頁.
写真:戦後アメリカ本土に移送された「木製戦闘機キ一〇六」
江別屯田兵村遺族会「江別屯田兵村120年の歩み」93頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログに掲載いたしております。
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