江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

文教地区生みの親 黒沢酉蔵の述懐

2012年10月16日 | 歴史・文化

 酪農学園の手により昭和17年以降、西野幌丘陵の一画に機農高校、三愛女子高校、酪農学園大学などが相次いで開設され、それらが軌道に乗ったことが、今日の文教地区の礎石となりました。

 『本学の創設にあたって、私はたしかに酪農民のための特別の教育と専門の教育機関が絶対に必要であるとの強固な信念を持っていた。しかいs、私の描いた構想は今から振り返ってみると、常識では理解できない無鉄砲といってもよい内容であった。したがって私の考えた道筋は間違っていなかったと思いつつも、本学が今日見るようなところへ、かくも順調に発展するとは、実のところ考えても見なかったのである。』

 この黒沢酉蔵氏の淡々とした述懐は、昭和55年の酪農学園短大30周年、同大学20周年記念誌に寄せられたものです。

 さらに遡り17年の夏、機農高校の開校のため金輪の馬車で西野幌の丘陵を駆け巡ったときから数えて約40年、戦中、戦後の困難をすり抜けてきた黒沢の感慨は余りあるものがあったことでしょう。

 黒沢酉蔵こそ、今日の文教地区の生みの親といっても過褒ではないでしょう。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」305頁.
写真:三愛女子高等学校校長時代の黒沢酉蔵
 同上書302頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三愛女子高校 | トップ | 北海道立野幌高校 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・文化」カテゴリの最新記事