江別創造舎

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陶芸の歴史

2009年04月13日 | 歴史・文化
 江別の陶芸の歴史は、煉瓦同様明治中葉まで遡りますが、本格的なものとしては、大正15(1926)年の北窯からでした。

 その後石狩陶園(のち石狩窯園)が開窯、轆轤(ろくろ)の神様と呼ばれた市原常次郎、絵師の砥上番光(とがみばんこう)、それに山岡三秋らの逸材が揃っていました。

 こうした前史をもつ江別に、昭和24(1949)年春、小森忍がやって来ました。
小森は、明治22(1890)年大阪市生まれ、大阪高等工業学校窯業科を卒業後、南満州鉄道株式会社中央試験所(窯業科研究部主任)などを経た後、大正10(1921)年、大連に小森陶磁器研究所を創設、以降本格的な作陶活動に入りました。
 昭和3(1928)年、同研究所を愛知県瀬戸市に移し、窯名を「山茶窯」と命名、国内における作陶と著作活動の拠点にしました。昭和9(1934)年、株式会社名古屋製陶社に入社、翌年から雄山閣の陶芸講座シリーズに研究著作を発表しました。昭和17(1942)年には日本陶芸協会会長に推されました。

 小森忍が野幌の地に降り立ったのは、彼が59歳、残された時間はそう多くありませんでした。彼は、江別に居を定めると、早速野幌に北斗窯を開きました。同時に、原料調査や秞薬(ゆうやく)の研究に没頭しました。北海道の原料を用い、その素材の美を活かし、北海道の自然と北国の美を作品化することを狙いとしていました。
 やがて、雪の結晶や白樺の肌、アイヌの文様をあしらった名品を生み出し、昭和35(1960)年北海道文化賞を受賞しました。

註:江別市総務部「新江別市史」538-539頁.
写真:横内豪氏作品「月光シリーズ」
 横内豪氏は、2009年3月北翔大学生涯システム学部芸術メディア学科卒業した現在、作品制作に専念しています。
 

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1 コメント

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祖父の作品 (早川泰子)
2016-11-09 21:27:48
祖父の作品の中に、陶芸があった事に驚きました!
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