コタツ評論

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まれなあれ

2015-05-10 18:55:00 | 今週の箴言
1918年(大正7年)、97年前に書かれたときにはもちろん、今日いよいよまれな文章といえます。

僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。
 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。
 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。「大杉栄評論集」(岩波文庫)



「杉よ! 眼の男よ!」という中濱哲の詩があります。膝に抱いているのは長女の魔子です

思想に行為に動機に自由あれ、というまれな組織論です。「不自由あれ」という精神主義を笑っています。思想を縛りつけ、行為をあげつらい、動機を詮索する、知性主義に立ち向かう批判です。思想を行為を動機を尋ねず、問わず、共働を結ぶのに少しの問題としない、人間の自由な精神を鼓舞した言葉です。近代日本に大杉栄がいたことが、もっともまれなことかもしれません。

(敬称略)

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