コタツ評論

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ゲッツ板谷の大患

2012-07-04 01:25:00 | 新刊本


西原理恵子を「現代の林芙美子」と誰かがいっていたが、さしずめゲッツ板谷なら、「現代の夏目漱石」かもしれない。奇をてらいつもりはない。どちらかを上げ下げして、得意がりたいわけでもない。

林芙美子と西原理恵子は、なんとなくわかるはず。どちらも「放浪記」「まあじゃんほうろうき」を書いているし、「女どてら」でも着込んでいる風である。夏目漱石とゲッツ板谷は、なんとなくわかるといえば嘘だろう。私もついさっきまでわからなかった。いったいどこが同じかといえば、どちらも生まれ育った地元で家族と暮らし、多くの友人や弟子がしょっちゅう家に出入りしている。ここです。

妄想シャーマンタンク』(2012年 角川書店)

漱石の「吾輩は猫である」を読めば、家族や友人、弟子に囲まれ、たいていは愉快そうに、ときに憮然としている漱石の顔が思い浮かぶ。ゲッツ板谷も友人が多いのは、そのエッセイからよくわかるが、そのうちの年下の連中は、友だちというより、漱石の昔なら弟子や弟分ではないかと思う。彼らに囲まれて、たいていは愉快そうに、ときに憮然としているゲッツ板谷の顔が、やはり思い浮かぶ(そうそう、どちらも鼻下に髭を蓄えている)。

もちろん、漱石の友人や門下には、正岡子規や寺田寅彦、和辻哲郎など、明治最高のインテリが居並ぶのに対し、ゲッツ板谷の友人や「子分」には、大学卒すら少なさそうだ。ぜんぜん違うようでいて、実はそうでもない。漱石の小説には、それまで日本にはいなかった、疎外感を抱き内面を持て余す「高等遊民」がよく登場するが、ゲッツ板谷を囲んでいる仲間たちをそれにならえば、「下層遊民」といえる。

明治の文学青年などは、遊びにうつつを抜かしているとみられたが、ゲッツ板谷の友人たちも、ゲッツ板谷自身がそうだが、ベースボールカードやフィギア、熱帯魚など、いろいろなサブカル遊びにうつつを抜かしている。遊びを通じて親しくなった彼らの仕事は、アルバイトから店舗経営まで、幅広い意味で自営業といえるが、遊んでいるのか働いているのか、よくわからない人物が多い。公務員や上場企業会社員など、中流意識の持ち主はいない。

牛込の漱石山房と立川の板谷家に、なぜ多くの人々が集まったか、集まるのかを考えてみると、そこだけが彼らの避難所だったのではないか。明治の文学青年にとって、世間の風が冷たかったのは、漱石の作品を読めば容易にわかる。ゲッツ板谷のエッセイに登場する友人たちもまた、世間の風には乗れない、どこか少し、あるいは大きく、箍(たが)が外れた桶のような人ばかりが登場する。

彼らに呆れ笑い感心してエッセイを書くゲッツ板谷と、漱石を中心とする文学サークルの若者たちとの交流の仕方に、そう大きな違いはないように思う。いずれも、いわば族長的に慕われ、家父長的に接しているために、そこに上下関係を見出しがちだが、漱石にとっても、弟子や門下というより、ゲッツ板谷と同じく、はるか年下であっても、ひとしく文学の志を同じくする「友人」と思っていたのではないか。

漱石が生きた明治なら、少しでも名のある人物の家に、友人知人が頻繁に出入りし、弟子や居候を置くのは、ごく一般的なことだった。そうしない方が偏屈とされほど、相互扶助が必要とされる貧しい時代だった。親とすら同居しない核家族の現代では、ゲッツ板谷のように周囲に人を集めるライフスタイルはきわめて珍しい。漱石のような小説を書きたい人は、現代にもたくさんいるだろう。しかし、漱石のように生活をしている人は、また、それが現代においてできるという人は、きわめて稀なはずだ。

漱石が家族と暮らし、多くの弟子たちの面倒を見たように、ゲッツ板谷も自身の公式サイトを開放し、家族や友人たちに書く場を与えてきた。キャームの「人生相談」コーナーの回答の困ったぶりに困った篇は、この本にも収録されている。事情はわからないが、その公式サイトも、どういうわけかファンサイトも、現在は閉鎖されている。兄弟同然の親友キャームや「子分」に近い元担当編集者ハックとも、疎遠になった時期があったそうだ。

漱石に有名な「修善寺の大患」があったが、ゲッツ板谷も脳出血という大病を経て、何か心境の変化が訪れたらしい。ゲッツ板谷20代の1年半のひきこもり中、天井の木目を眺めては、脳内で文章を書いていた頃を語る一篇は、いつもの「お笑い」を抑え、なかなかに暗く味わい深い。

「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」だけを書いていた「現代の漱石」も48歳。そろそろ、「こころ」や「草枕」を書きたくなってきた。書かざるを得なくなってきた。そういうことなのかなと思ったりもする。あるいは、「坊ちゃん」がその後「街鉄の技手になった」ように、ゲッツ板谷もトラックの運転手にでもなるかもしれない。

しかし、ゲッツ板谷にスカなし、スカシもなし。本作も高いレベルで、蛇足を承知でいいますが、「文学」しています。

ゲッツ板谷の波風日記
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(敬称略)