コタツ評論

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眼からコンタクトレンズ

2010-04-11 14:49:00 | ノンジャンル
最近は、色付きコンタクトレンズのおかげで、自由に眼の色を変えることができるらしい。私はブラウンアイズであるが、ブルーアイズにもなれるわけで、髪を染めることは手軽にでき、整形美容術もずいぶんと発達しているから、誰でも、もっと完璧なハワイの王族「プリンス・ジョナ・クヒオ大佐」にはなれるわけだ。

映画「クヒオ大佐」が公開されたそうだが、二枚目が主演の「クヒオ」では、「原作」を台無しにするキャスティングではないかと舌打ちしたのは、私一人ではないだろう。



茶髪というより、「植木鉢色」と嘲笑された髪染め、付け鼻にしか見えない隆鼻術、ずんぐりした農夫体形の冴えない中年男が、その滑稽醜悪な容姿をもろともせず、あるいはだからこそなのか、「結婚詐欺師」として赫々たる戦果を上げ、逮捕後も被害者が面会を求めて列をつくり、その出所を待ち続けた被害者もいるといった「クヒオ伝説」の痛快を味わうことは、とうてい望めない。

それほど、「プリンス・ジョナ・クヒオ」には、誰でも素人社会学を展開したくなる絶妙な背景が施されている。「クヒオ」の自称はこうだ。ハワイの王族であり、英王室からプリンスの称号を得て、アメリカの空軍大佐でもあり、極秘任務でしばしば米軍の横田基地からジェット機で飛び立つ。いずれも、戦後日本が禁忌とした憧憬の裏返しであることがわかる。

先ごろ亡くなった平岡正明に『あらゆる犯罪は革命的である』という著作があったが、「クヒオ」の「犯罪」は、革命的に私たちの「眼から鱗」を剥がしてくれる(ところで、コンタクトレンズとは、やはりこの「眼から鱗」から発想されたものだろうか)。私たちは、米帝の属国として、その従者に甘んじなければならないわけだが、同時に従者として出世したいという欲望も刺激されてきた。

「結婚詐欺」が発覚した後も、少なからぬ被害女性たちの恋慕を集め、被害届を出し渋るのに警察が苦労したという「クヒオ伝説」とは、「クヒオ」がいかにして女たちの「憧憬」を統合したかの物語に他ならない。同様に、前記のような「従者の欲望」が戦後の日本国民を統合してきたと読みかえることができるわけだ。ここまでは誰でも思いつく、対米追従の理由だろう。

日本と日本国民は、しかたなく、対米追従してきたのではなく、実は喜んで対米追従してきたのではないか。そこから先があるとは思っていなかった私にとって、「眼から鱗」の論考が以下である。「従者の欲望」には、もうひとつの側面があるというのだ。基地の街横須賀を地盤とする小泉純一郎が、喜んで「ブッシュの犬」となった仰天の動機を考察している。

従者の復讐

それゆえ、私は小泉の対米戦略をもっぱら「悪意」という動機によって説明できると考えている。

「普天間問題で迷走する」鳩山由紀夫と「イラク戦争全面支持」の小泉純一郎を、同列の「従者の復讐」と論じて、アクロバチックな印象を与えないのは、やはり、無意識領域を根拠にしているからだろう。つまり、根拠はないが、そう考えるとつじつまが合うというわけだ。おもしろい落としどころだと思う。

そういえば、政権交代からこっち、「落としどころ」という言い方が絶えたような気がする。自民党族議員や経済界、地元などに挟まれた官僚が、それぞれの妥協点を見出す場合に、「落としどころ」という言葉がよく使われたものだ。民主党政権は、政治主導だそうだから、自民党時代のように官僚が調整役を務めるわけにはいかない。また、主導する政治家が「落としどころ」を示すのもおかしい。本来は、マスコミが「落としどころ」の一端を担うものだが、とてもそんな機能は望めない。やはり、国民、選挙民が「落としどころ」を考えていくしかないようだ。

(敬称略)


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