コタツ評論

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高校野球とオリンピック

2005-08-28 12:27:15 | ノンジャンル
悪しき商業主義という批判はわかるが、非商業主義はあり得ないことは自明。かつてのソ連や東独のような超国家主義以外に、まったくの非商業主義があったか。あった。もともとオリンピックは貴族のスポーツの祭典。車夫馬丁の参加はなかった。参加したとしても、エンゲルスがルポしたように身長160cmそこそこの炭坑夫が、日常的にスポーツを楽しんでいる180cmを越える貴族たちに勝てるわけがない。学生時代、土方のバイトをしていたのに、医者に行ったら「運動不足」と診断されたことがある。農耕馬とサラブレットみたいなもの。階級とはそれほど激しい差を生むようだ。第二次大戦後、独立を果たしたアジア・アフリカといった欧米からみれば、「車夫馬丁」国家が参加して、そのナショナリズムの上にオリンピックは世界性を獲得した。貴族主義-国家主義-商業主義は不可逆。制御できないほど商業主義が拡大したというより、民族国家の背骨を失いつつあるオリンピックは商業主義によってかろうじて延命しているという方が事実なのでは。

学校体育からはじまる高校野球も国家主義と無縁ではなかったが、かつて小中学校の秋の運動会が村や町のお祭りであったように、実は甲子園より地方予選の方が盛り上がるのが高校野球だ。地方紙の協賛広告が増え、会場近くの旅館が潤い、スポーツ用品店が忙しくなり、アイスが売れ、飲み屋が賑わう。目くじら立てるほどの商業主義の行き過ぎはないのでは。有名野球校のプロ野球並みのナイター施設や入学金や授業料免除した「外人部隊」の獲得といった金の問題も、企業努力の範囲だろう。それをいうなら、国立大付属や有名進学私立校の越境入学や施設、授業料、少人数授業、教員の質も同様に問わなければ。くわえて、後者には地域に対するこれといった経済波及効果は乏しいのだ。東京などの首都圏に進学し、最近の予備校は米有名大学への留学まで勧めている。地域から金や若者は流出するばかり。
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