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コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

想定外のダメージ

2011-08-25 23:55:00 | 3・11大震災
もう、日本人の手で事実を明らかにするのは、あきらめるべきなのかもしれない。東電はもちろん、政府だけでなく、日本社会そのものに、当事者能力がないのではないか。そこまで疑いたくなる、 被災より被曝より深い、このダメージ。「髪のダメージケアやダメージコントロールには、エルセーヴ!」があるのにな。

東電、15m超の津波も予測…想定外主張崩れる
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110824-OYT1T00991.htm?from=rss&ref=rssad

紳助引退騒動

2011-08-24 02:02:00 | 3・11大震災


暴力団と親密な交際があったことを理由に、島田紳助が引退するという。相撲取りの野球賭博でも、暴力団が関与しその資金源になったと非難され、場所中止にまで追い込まれた。ならば東電は、百回、千回、潰さなければならない。数十年以上も原発労働者の口入れに暴力団を利用し、莫大なピンハネをさせて、彼らの資金源になってきたのだから。

(敬称略)

完璧な原発文

2011-08-24 01:26:00 | 3・11大震災
4月某日

 最近の原発事故隠し、保険金未払い騒
動などをみていると日本人の多くが、ガ
サツ、いい加減になったと判る。
 原子力発電所とは、原爆の次に、あた
りを荒廃せしめる危険をはらむ施設。
 原爆は一瞬、原子力発電所は一生。
 エネルギーのない島国にとって原発の
存在は当然であろう。しかし、安全確保
には金がかかる。
 原発はまことに危険だ。なおコスト高。
 我々の電力は原子力発電に支えられて
いる。電力を使っている以上文句は言え
ない。そして、世間一般は危機管理がゆ
き届き、非常事態など起こるわけがない
と信じ込んでいる。そもそも原発の仕組
みについて知ろうともしない。
 原発に関する事故隠し、未来に対する
犯罪だ。


この文は、今年4月に書かれたものではない。4年前の平成19年(2007年)月刊誌「新潮45」6月号、連載第3回「だまし庵日記」(野坂昭如)中の一文である。野坂昭如は2003年に脳梗塞に倒れ、長いリハビリ生活にあると聞く。

後遺症と回復状態については不明だが、改行なしに続く独特の文体やさんみ(ひがみ・そねみ・ねたみ)の視点から世間を撃つ、かつてのエッセイの切れ味を知る読者なら、この日記はたぶん暘子夫人による口述筆記であり、その口述も相当思うにまかせないのだろうと推測できる。

率直にいって、見る影もない。が、「炭鉱のカナリア」としての作家の直感や予見は、その口述ほどには衰えていないことが、この原発文から充分にうかがい知ることができる。4年前としてはもちろん、4年後の現在においても、完璧な文章といえないだろうか。

(敬称略)



隠された東南海大震災

2011-08-12 00:03:00 | 3・11大震災


言葉の綾掲示板で、Sさんが教えてくれました。
私はまったく知りませんでした。この地震から数日後、B29爆撃機は被災地半田に、「地震の次は何をお見舞いしましょうか」というビラを撒き、すぐに大規模な空襲を行って中島飛行機半田工場を壊滅させ、日本の軍用機増産計画を頓挫させました。この東南海地震とその被災については、戦後10数年以上も秘匿され続けたそうです。

8月10日 (水) 午前0時15分~0時40分 NHK総合 
証言記録 市民たちの戦争
「封印された大震災 ~愛知・半田~」 
http://www.nhk.or.jp/shogen/schedule/shimin_yotei.html

太平洋戦争後期の昭和19年12月、東海地方を、マグニチュード7.9の巨大地震が襲った。死者1200人以上に達した大震災で、被害が集中したのが、軍用機工場だった。建物の倒壊により、工場で働いていた10代の少年少女が、命を落とした。しかし、この事実は、国の徹底した情報操作によって、“封印”される。国は、なぜ地震の被害を隠そうとしたのか。近年発見された機密資料や被災者の証言から、大震災の実態をひもとく。



隠されてきた福島3号機の重大事故

2011-08-10 01:56:00 | 3・11大震災


福島県と関東地方に、「大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の同地域の総量に匹敵する莫大な放射性物質」を降下させ、大地と人間を被曝させた福島第一原発の最大事故が隠蔽されてきた、と指摘するブログ記事です。事実とすれば、これまで厖大に、それなりに詳細に報じられてきた、福島第一原発事故のルポや解説記事とは、いったい何だったんだろう。嘆息するしかない。

以下は、7月20日に、一民間人のブログに投稿された記事。

2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/5763592/

はじめに 12日1号機の水素爆発、14日の3号機における水素爆発、15日2号機のサプレッションチェンバー爆発。これら相次ぐ事故によって、福島第一原発から今まで放出されてきた放射性物質の大部分は15日までに放出されてきたものであるかのように東電・政府は発表しています。 ところが、もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、あまり一般には知られていません。
(中略)
3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の同地域の総量に匹敵する莫大なものであった。 この放射性物質は、よく言われるように、3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。 その汚染源は明らかに3号機であり、おそらく福島第一原発最大の事故であった。


以下は、上の3号機の再溶融を裏づける8月8日の朝日新聞記事。

震災10日後、2度目の溶融か 福島3号機、専門家指摘
http://www.asahi.com/national/update/0807/TKY201108070330.html