戦争の狂気を実感するマネージャー高木です。
昨日も帰りの家が遠く30分もかかってしまいました。毎日順調に距離を稼いでいます。スポーツクラブのマネージャーが運動不足では様になりませんから。又こうやって公表していくのもマネージャーの勤めと思っています。
広島から帰って1週間。昨晩、特番で無くなった筑紫哲也の報道特別番組「ヒロシマ」をやっていました。初めてヒロシマを訪れた直後にこの番組が放映(再放送)されるのも何かの因縁です。
番組の最後に開発した科学者で爆撃機エノラゲイに搭乗していた人物と被爆者の対談がありました。
原爆投下直後のきのこ雲の写真を見て誇らしげに「これは私が撮った」という表情を見てかなり違和感を感じてしまいました。被爆者を前に謝る気はあるかと聞かれると、「戦争を早く終わらすためにやむをえなかった」と言い切りました。
実は投下までの経緯の中で開発に関った科学者たちが非戦闘員のいる地域に対して使うべきではないと反対運動を起こしていました。エノラゲイに搭乗した科学者は平和記念資料館を見学した後の発言でした。
実は資料館で私は胸が詰まりました。正視するに耐え難い資料の連続でした。涙さえ出ました。私が敗戦国の人間だからでしょうか。違います。私は戦争を知らない世代です。1人の人間として当たり前の感情だと思います。見学者の多くがそのコーナーでは無口になっていました。
その科学者の最後の言葉に驚きました。「私たちはパールハーバーを忘れない」パールハーバーを人類が犯してはいけない最終兵器に結びつける科学者は、科学者が陥ってはならない戦争の狂気そのものだったのではないかと。
昨日も帰りの家が遠く30分もかかってしまいました。毎日順調に距離を稼いでいます。スポーツクラブのマネージャーが運動不足では様になりませんから。又こうやって公表していくのもマネージャーの勤めと思っています。
広島から帰って1週間。昨晩、特番で無くなった筑紫哲也の報道特別番組「ヒロシマ」をやっていました。初めてヒロシマを訪れた直後にこの番組が放映(再放送)されるのも何かの因縁です。
番組の最後に開発した科学者で爆撃機エノラゲイに搭乗していた人物と被爆者の対談がありました。
原爆投下直後のきのこ雲の写真を見て誇らしげに「これは私が撮った」という表情を見てかなり違和感を感じてしまいました。被爆者を前に謝る気はあるかと聞かれると、「戦争を早く終わらすためにやむをえなかった」と言い切りました。
実は投下までの経緯の中で開発に関った科学者たちが非戦闘員のいる地域に対して使うべきではないと反対運動を起こしていました。エノラゲイに搭乗した科学者は平和記念資料館を見学した後の発言でした。
実は資料館で私は胸が詰まりました。正視するに耐え難い資料の連続でした。涙さえ出ました。私が敗戦国の人間だからでしょうか。違います。私は戦争を知らない世代です。1人の人間として当たり前の感情だと思います。見学者の多くがそのコーナーでは無口になっていました。
その科学者の最後の言葉に驚きました。「私たちはパールハーバーを忘れない」パールハーバーを人類が犯してはいけない最終兵器に結びつける科学者は、科学者が陥ってはならない戦争の狂気そのものだったのではないかと。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます