「“和製ドラゴン”倉田保昭、激闘!十五番勝負」第11回は、邵氏公司作品にして劉家良導演作品「少林寺vs忍者」(78)でいきたいと思います。
“洪拳宗師”劉家良が遺した数々の傑作武打片の中で、もし私がそのベスト3を挙げるとしたら「陸阿采與黄飛鴻」(76)、「洪熙官」(77)、そしてこの「少林寺vs忍者」になります。2000年初頭にキングレコードが国内で邵氏公司作品のDVDリリースを開始するまでは、この「少林寺vs忍者」のワーナー版VHSが唯一国内でビデオ化された邵氏公司のクンフー映画でした。
原題の「中華丈夫」を見るまでもなく、本作は新婚の中国人の夫何濤(劉家輝)と日本人の妻弓子(水野結花)の異国間の文化や習慣の違いから起きた夫婦喧嘩が、やがては日本と中国の武道家同士の集団での闘いへと発展していく様を描いています。
まずこの映画のユニークな点は、主人公の何濤と武野三蔵(倉田保昭!)率いる日本人武道家軍団(原田力、八名信夫、角友司郎、竜咲隼人、中崎康貴、大前鈞など) の連続対決を、それぞれ1日に1度ずつ行われる決闘としてジックリと丁寧に描いている事でしょう。
その1日に1度の対決を終えた僅かな時間に、何濤たち中国サイドは明日対戦予定の日本人武道家の得意とする武芸の弱点を懸命に探り、その対策を準備するわけで、その過程で酔拳使いの乞兒としてそれは見事な酔拳を披露しているのが導演の劉家良なわけです。
この「少林寺vs忍者」が制作される以前の香港クンフー映画に登場して来た日本人武道家像は、粗暴で残虐、ただひたすら日本刀や銃を振り回しながら中国人を侮辱し虐げるだけのキャラクターでした。そこには日本の伝統ある武士道精神の欠片も無かった。それは私自身、1人の日本人として実に悲しい事でした。
劉導演はこの「少林寺vs忍者」の撮影が始まる直前、倉田さんにこう言ったそうです。「クラタ、この「中華丈夫」は俺にとって勝負の映画になる。だから絶対に失敗出来ないんだ。俺はそれこそ日本人の喋り方や歩き方もよく知らない。だからこの映画の中の日本人の描写で少しでも変な所があったら必ず言ってくれ。頼むぞ!」
それは黄飛鴻の直系にして“正宗国術”の誇りと共に長年生きて来た劉家良が、自身の威信を懸けた作品で、香港クンフー映画で初めて“正しい日本人武道家の姿”を描く事を日本から来たドラゴンに誓った瞬間でした。
映画の中で連日繰り広げられる何濤vs日本刀、vs空手、vsヌンチャク、vsサイ、vs柔道など闘いはまさに圧倒的な完成度で、それはこの達人たちの闘いを観ている私たち観客を恍惚の世界にグイグイと引き込んでいくほどの見事さです。
こうしてこの日本と中国の誇りと名誉を懸けた闘いは何濤vs三蔵の最終決戦の果てに、“武士道精神の象徴”である日本刀の譲渡という余りにも感動的なエンディングで幕を下ろします。
そして私がこの「少林寺vs忍者」という作品で、どうしても、そして強く言いたい事。それは香港クンフー映画は基本的に“闘い”を描いた作品です。例えどのような理由であれ、その映画の中では人が殺し殺され、命を奪われる場面が映し出されます。主人公が自ら鍛え上げた鉄拳と蹴りを用いて悪である敵と争う際、その“闘い”の結末で一方が命を落とす事はある意味必然である、と私も思っていました。
でもこの「少林寺vs忍者」は違いました。
日中の武道家同士がこれほど壮絶かつ激しく火花を散らし合いながらも、映画の最初から最後まで登場人物が1人も死ななかった。これは素晴らしい事。
これこそが劉家良師父がこの映画で訴えたかった真のメッセージで、武術に秀でた者がその武術を用いる時、それは決して相手を傷つけ、打ち負かすための物ではない。それは例え国や習慣が違えども、お互いが修練した武術を持って凌ぎ合う事で、お互いが敬意を深め、認め合い、最後には固い信頼を築くためにこそ武術はあるのだ、との崇高なメッセージなのです。
最後に、私がこの「少林寺vs忍者」は最後まで人が1人も死なない殆ど唯一のクンフー映画ですね?と倉田さんに問いかけた時、倉田さんは一瞬何とも嬉しそうな笑顔を浮かべると、ただ黙って、そして静かに私に頷いてくれたのでした。そう、合言葉はドラゴォォン!!
「あの「少林寺vs忍者」は僕と日本から何人もの俳優を連れて香港に行き撮影しました。監督の劉さんはこの映画に懸けていましたね。もう気合い十分で、連日激しいアクション・シーンの連続でした。ラストの僕と劉家輝の対決シーンの前に、劉さんが僕のところに来て「クラタ、何か面白い空手の動きとかあるか?」と訊いて来たんで、僕もアイディアを出して2人で考えたのがあの忍者の蟹拳でした。でもこのシーンでも義理の弟の劉家輝は何時も劉さんに怒られてましたね(笑)。でも僕は劉さんに怒られたりとかは一切無かったです。ちょっと前になりますが、あるパ-ティーで劉徳華から「中華丈夫」をリメイクしたいんですなんて言われたんですが、僕が思うにこの映画をいまリメイクしても、あの劉さんや僕らが作り上げた物と同じ作品にはとてもじゃないけど出来ないんじゃないかと思いますね。それだけこの「少林寺vs忍者」の完成度は高いと思うし、僕もこの映画に出演させて貰った事は今でも誇りです」(倉田保昭:談)
“洪拳宗師”劉家良が遺した数々の傑作武打片の中で、もし私がそのベスト3を挙げるとしたら「陸阿采與黄飛鴻」(76)、「洪熙官」(77)、そしてこの「少林寺vs忍者」になります。2000年初頭にキングレコードが国内で邵氏公司作品のDVDリリースを開始するまでは、この「少林寺vs忍者」のワーナー版VHSが唯一国内でビデオ化された邵氏公司のクンフー映画でした。
原題の「中華丈夫」を見るまでもなく、本作は新婚の中国人の夫何濤(劉家輝)と日本人の妻弓子(水野結花)の異国間の文化や習慣の違いから起きた夫婦喧嘩が、やがては日本と中国の武道家同士の集団での闘いへと発展していく様を描いています。
まずこの映画のユニークな点は、主人公の何濤と武野三蔵(倉田保昭!)率いる日本人武道家軍団(原田力、八名信夫、角友司郎、竜咲隼人、中崎康貴、大前鈞など) の連続対決を、それぞれ1日に1度ずつ行われる決闘としてジックリと丁寧に描いている事でしょう。
その1日に1度の対決を終えた僅かな時間に、何濤たち中国サイドは明日対戦予定の日本人武道家の得意とする武芸の弱点を懸命に探り、その対策を準備するわけで、その過程で酔拳使いの乞兒としてそれは見事な酔拳を披露しているのが導演の劉家良なわけです。
この「少林寺vs忍者」が制作される以前の香港クンフー映画に登場して来た日本人武道家像は、粗暴で残虐、ただひたすら日本刀や銃を振り回しながら中国人を侮辱し虐げるだけのキャラクターでした。そこには日本の伝統ある武士道精神の欠片も無かった。それは私自身、1人の日本人として実に悲しい事でした。
劉導演はこの「少林寺vs忍者」の撮影が始まる直前、倉田さんにこう言ったそうです。「クラタ、この「中華丈夫」は俺にとって勝負の映画になる。だから絶対に失敗出来ないんだ。俺はそれこそ日本人の喋り方や歩き方もよく知らない。だからこの映画の中の日本人の描写で少しでも変な所があったら必ず言ってくれ。頼むぞ!」
それは黄飛鴻の直系にして“正宗国術”の誇りと共に長年生きて来た劉家良が、自身の威信を懸けた作品で、香港クンフー映画で初めて“正しい日本人武道家の姿”を描く事を日本から来たドラゴンに誓った瞬間でした。
映画の中で連日繰り広げられる何濤vs日本刀、vs空手、vsヌンチャク、vsサイ、vs柔道など闘いはまさに圧倒的な完成度で、それはこの達人たちの闘いを観ている私たち観客を恍惚の世界にグイグイと引き込んでいくほどの見事さです。
こうしてこの日本と中国の誇りと名誉を懸けた闘いは何濤vs三蔵の最終決戦の果てに、“武士道精神の象徴”である日本刀の譲渡という余りにも感動的なエンディングで幕を下ろします。
そして私がこの「少林寺vs忍者」という作品で、どうしても、そして強く言いたい事。それは香港クンフー映画は基本的に“闘い”を描いた作品です。例えどのような理由であれ、その映画の中では人が殺し殺され、命を奪われる場面が映し出されます。主人公が自ら鍛え上げた鉄拳と蹴りを用いて悪である敵と争う際、その“闘い”の結末で一方が命を落とす事はある意味必然である、と私も思っていました。
でもこの「少林寺vs忍者」は違いました。
日中の武道家同士がこれほど壮絶かつ激しく火花を散らし合いながらも、映画の最初から最後まで登場人物が1人も死ななかった。これは素晴らしい事。
これこそが劉家良師父がこの映画で訴えたかった真のメッセージで、武術に秀でた者がその武術を用いる時、それは決して相手を傷つけ、打ち負かすための物ではない。それは例え国や習慣が違えども、お互いが修練した武術を持って凌ぎ合う事で、お互いが敬意を深め、認め合い、最後には固い信頼を築くためにこそ武術はあるのだ、との崇高なメッセージなのです。
最後に、私がこの「少林寺vs忍者」は最後まで人が1人も死なない殆ど唯一のクンフー映画ですね?と倉田さんに問いかけた時、倉田さんは一瞬何とも嬉しそうな笑顔を浮かべると、ただ黙って、そして静かに私に頷いてくれたのでした。そう、合言葉はドラゴォォン!!
「あの「少林寺vs忍者」は僕と日本から何人もの俳優を連れて香港に行き撮影しました。監督の劉さんはこの映画に懸けていましたね。もう気合い十分で、連日激しいアクション・シーンの連続でした。ラストの僕と劉家輝の対決シーンの前に、劉さんが僕のところに来て「クラタ、何か面白い空手の動きとかあるか?」と訊いて来たんで、僕もアイディアを出して2人で考えたのがあの忍者の蟹拳でした。でもこのシーンでも義理の弟の劉家輝は何時も劉さんに怒られてましたね(笑)。でも僕は劉さんに怒られたりとかは一切無かったです。ちょっと前になりますが、あるパ-ティーで劉徳華から「中華丈夫」をリメイクしたいんですなんて言われたんですが、僕が思うにこの映画をいまリメイクしても、あの劉さんや僕らが作り上げた物と同じ作品にはとてもじゃないけど出来ないんじゃないかと思いますね。それだけこの「少林寺vs忍者」の完成度は高いと思うし、僕もこの映画に出演させて貰った事は今でも誇りです」(倉田保昭:談)