イギリスのカントリー・ハウス風の意匠だとのこと。
チーク材の梁です。
ドアの高さで部屋のそれとなく格付けがあったりするのだとか。
軍人の客と華族・皇族の客を通す部屋があったそうです。
細部の意匠が各部屋で違うとのこと。
マントルピースの周囲の壁紙は金唐紙(凝革紙)とのこと。
(つづく)
イギリスのカントリー・ハウス風の意匠だとのこと。
チーク材の梁です。
ドアの高さで部屋のそれとなく格付けがあったりするのだとか。
軍人の客と華族・皇族の客を通す部屋があったそうです。
細部の意匠が各部屋で違うとのこと。
マントルピースの周囲の壁紙は金唐紙(凝革紙)とのこと。
(つづく)
欲張って、洋館も見学しました。
こちらでは、見学される方たちが大勢いましたので、写真をあまり撮ることができませんでした。
男性のボランティア・ガイドの方から詳しい説明をしていただきながら、10数人のグループで回りました。
あちこちの装飾にびっくりです。
洋館の1階は、お客様のおもてなしスペースとのこと。
(つづく)
再び、案内パンフレットから
・和館は、主に外国からの賓客をもてなすために建てられ、四季折々の前田家の行事にも用いられました。木造2階建ての近代和風建築で、庭園側から見ると銀閣寺とプロポーションが似ています。茶室や待合も備え、洋館とは渡り廊下で繋がっています。
・洋館と和館を結ぶ渡り廊下は、中央の東屋を境にして洋館側は洋風、和館側は和風のデザインになっています。設計者の塚本靖は、その境界に小松城の葭島(よしじま)御殿兎門扉を用いて「洋式より和式に移る際に自然に気分を転換させる設計」にしたといいます。この扉は現在、小松市立博物館に所蔵されています。
(ネットで調べたところでは金沢・兼六園成巽閣に所蔵されている?)
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職人さんたちの気合や意気込みがあちこちに感じられます。
この昭和の初めのころ、日本は円高で昭和恐慌と呼ばれる状況であったようです。
前田利為侯は景気浮揚も兼ねての工事を決断したのではないでしょうか。
酒井美意子「ある華族の昭和史」 講談社文庫 1986年
を並行して読むと、日本史のさまざまな疑問が解けていく気がしてきます。
酒井美意子は前田利為の長女で、「華族」には様々な役割があったのだ、ということがわかります。
前田家は、戦国時代から明治まで生き延びてきた、ということも着目するべきではないでしょうか。
明治維新を乗り切るには、現代人がなかなか理解できない多種多様な能力が必要であったのだ
と垣間見る思いがします。
少しでもその力を分けてもらいたいですよね。
茶室です。
この水屋が新鮮に感じたりします。
小さな部屋に開口部分が機能的に考えられています。
出入口はもちろん、会話が途切れないように、器を外に出すとか。
天井です。
密談のためにこういった部屋が必要だったのでしょうね。
刀を持ち込めない、あるいは壁の耳、障子の目を許さない
膝をつき合わせて1人の人間として話をする・・・・・
現代人の、茶の湯の優雅さとは縁遠い私からは、なるほどほんとうの贅沢とは茶室の形にあるのだと発見した思いがします。
戦国武将が到達した心安らぐ空間・・・・・平和の1つの形を現すものなんですね。
もしかしたら茶室を輸出できて、茶道具やお茶、茶碗も・・・・