椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2020年夏 その2

2020-08-25 19:18:15 | 暮らしから

2014年に主人が亡くなって、今度は青森の両親の遠距離介護ということになって2016年6月に父が、昨年2019年10月に母が亡くなり、この6年ほど青森に何度も出かけておりました。

その間、布製のキャリーケースがいつも一緒だったんですが、ついに持ち手がボロボロになってしまって。

愛着のあるものだったので、アマゾンで似たような持ち手を探したんですが・・・・・

今はプラスチック製のものが多くて、革製の持ち手を購入してみたんですが発送に時間がかかるものだったんです(泣

届いてもうまく取り付けられるかどうか・・・・

 

そろそろ片付けなどに青森に出かける必要があって、ゆっくり待ってもいられず、キャリーケースを西武所沢で購入しました。

どうしても金属やプラスチックのものは買う気にならず、しかし日本製で布製のものはけっこう高かったりします。

あれこれ迷った挙句、割引されていた旧型の分から選びました。

 

家に戻ってから、パンドラの箱のような働きでもあったかのように思い出すことがありました。

このブログの初めのほうにあるように、まちづくりのボランティアでお助けマンという活動をしていたとき、ちょっと変わった依頼を受けたことがありました。

70歳代の女性の一人暮らしの方が、スーツケースの修理だったか交換だったかで、有楽町まで同行してほしいということだったのです。

タクシーで駅に出かけ、空いている時間帯に電車に乗って出かけました。

その間、いろいろのお話を聞きました。独身でお勤めをされ、お母様とずっと一緒に暮らしていて数年前に亡くなられたとか。

外国旅行に出かけたことなども興味ふかいお話がありました。

私はそのころ主人が存命中で、在宅での数学の問題集の校正のような仕事もしていたので、時間のゆとりがなくて・・・・

 

もっとお話を聞いておけばよかった・・・・・今頃になって強い思いにとらわれたりします。

まちづくり活動に参加したことで、多くの高齢の方たちにお会いすることになりました。

その結果、お葬式にも参列させていただくことになり、もしかしたら、私のせいで寿命を縮めたのではないか、と何度か思ったりしてきました。

いっぽうでは、その方たちに支えられているという気持ちもあります。

 

高齢化社会というのは多死の社会ということになっていくのかもしれませんが、けっして空虚なものではないと思います。


2020年夏 その1

2020-08-20 00:29:49 | 暮らしから

今年の夏はコロナと猛暑で記憶に残ることになりそうです。

こういうときは、別のほっとした話を書いておきたくなります。

 

青森の弟から重要な書類を送ってもらったんですが、1週間経っても届かない・・・・

ということがありました。

簡易書留とかレターパックとかにしてくれればよかったんですが・・・・

定形外郵便で送ったとのこと。

パソコンで検索して郵便局Q&Aというサイトをみつけ → こちら

電話をしてみました。

普通郵便では難しいということでしたが、あきらめずにファックスで送ってもらった定形外郵便のレシートから

受付の郵便局と日時、重さを伝えて調べてもらうことをお願いしました。

 

それから数時間後、届けてもらうことができました

なんと郵便番号と、住所の丁目以下が間違っていたのです。(弟も高齢者になっていたとは!)

 

高齢化社会では、また地方では郵便局は、必要な存在ではないでしょうか。

宅配便もたいへんありがたい存在ですが、地方分散としていくなら、やはり郵便局を改革しつつ残していく必要があると思います。

また青森の実家の電気・水道などの料金の口座はゆうちょ銀行以外だと不便だったりします。

日本の郵便局は途上国の手本としていくべき1つとなるように思われます。

というか日本は自然に恵まれた羨ましい途上国になるという選択もありそう。


8月16日のまち

2020-08-18 10:13:16 | 所沢

コロナで自粛、青森に何度か出かけるなど用事がかさなり、お墓参りをさぼっておりました。

それにしても暑くて、車を運転しない私はお盆の最終日の午後4時になってようやく出かけることにしました。

少し暑さが和らいでいたのと、夕立ちもなさそう、と思ったからなんですが・・・

歩いて30分ほどですが、最近の運動不足と暑さでけっこうたいへん

この時期はオシロイバナとヒマワリですね。

着くころにゴロゴロと雷が近くで鳴り出して・・・・

墓のまわりの草を急いで引き抜き

野生の白いユリがつぼみをつけたのはそのままにして

高い木がすぐそばにあるので主人には申し訳ない気がしましたが

榊(家に植えてあるシャシャキとやらなんですが)を供えて

いつものように「お守りください」とお願いし、バタバタと帰り支度となりました。

そのころには雷が音も光も近づいていて・・・・

北側の空はまだ青空が残っているんですが

南側は稲妻がときどきみえて、竜巻が起こりそうに下に伸びた雲がありました。

 

あれこれ不安なことが続いていますが

こういうときにはポジティブな妄想が役立つことがあったりします。

 

ひょっとして、気象を司る神様はブログに協力してくれているんじゃなかろうか、とか。

 


8月13日のまち

2020-08-14 11:17:40 | 樹木

暑い日が続いております。

パン屋さん「イングランド・ストリート」に出かけて打越公園で写真を撮りました。

ちょうどお昼の12時ごろです。

セミが賛助出演してくれたんですが・・・

水分だけでなく塩分やミネラルもお忘れなく。

埼玉・川島屋のにんにく唐辛子せんべいがおいしいです。

停電もあるようですから、ときどき汗をかいておきましょう。

緑茶と梅干もどうぞ。

手や足に水をかけたり、扇風機を微風にしたりすると効果的だったりします。


2020年7月 青森へ その16

2020-08-11 15:51:37 | 青森

新青森駅の喫茶店がカフェ 水とコーヒー というお店に変わっていました。モカ・ウォッシュドというコーヒーがおいしかったです。

おきな屋というお店で、曈々(とうとう)というお菓子が復活☆

曈は目へんではなく日へんなんですね。

曈々とは朝焼けで山々の空が赤々と明けていくさまをあらわしているとか。

りんごを赤葡萄酒、白葡萄酒でそれぞれ煮込んだお菓子です。

7月29日は山形新幹線が一部運休になっていたりしていました。

新青森駅を出たところです。

盛岡駅の近くです。

田んぼが冠水している?

これから台風の季節ですが農作物に被害がでませんように。


2020年7月 青森へ その15

2020-08-11 15:10:22 | 高齢化社会

山が空気の関係からか近く感じられるときとそうでないときがあります。

母の相続について、何度か通っている理由の1つに不明金がある、ということがありました。

高額な引出しがあって、それが私が引き出したのではないかということに。

その引き出した日付は私が青森にいないときだったのですが、確実に立証といっても難しいものがあります。

 

通帳なども私が持っているわけではないので、調べようもなくだったのですが

帰りの新幹線の時間が迫っている中、その銀行に出かけてみました。

たまたま戸籍謄本などを持っていたので身分証明ができて、調べてもらうことができて・・・・

その引き出し分は母が定期預金としていたものだということがわかって一安心。

遠距離介護などではきっちりと会計を分けて不明分を作らない、といっても難しいものがあったりします。

食材・寝具の購入、電話代、交通費、宿泊代、・・・・・などなど。

神戸の義姉の場合と、青森の両親の場合では違う金銭感覚になるというか。

後見人制度があればよい、というわけではないようです。

大まかなガイドラインを示してあれば、と思ったりします。

社会の問題について、税金のありかた、考え方などは追いついていくのか

たとえば病院経営でも苦労したあげくの出費が不正扱いということになっていったりしたら

などと余計なことまで考えてしまいました。


2020年7月 青森へ その14

2020-08-10 01:25:45 | 歴史あれこれ

善知鳥神社には死節碑と海軍の碑が並んでいます。

死節碑は、西南戦争戦没者慰霊のため1878年(明治11年)に建てられたとのこと。

1882年(明治15年)森鴎外が訪れています。

海軍の碑は1986年(昭和61年)に建てられたそうです。

それにしても烏頭が善知鳥に変わったのはなぜ?

善知鳥について Wikipediaでは こちら

室町時代の(一説には世阿弥作の)能の演目でその名前が知られたとか。

陸奥湾沿岸の外ヶ浜については こちら

西行や藤原定家の歌に取り上げられていた、ということもあっての「善知鳥」なんでしょうか。

今の長野県塩尻市に善知鳥峠という地名があるのが気になります。

このあたりでは南北朝時代に桔梗ヶ原の戦いというものがあったようです。→ こちら

 

芭蕉の「おくのほそ道」に随行したのは曽良でした。→ こちら

宗良親王の行方について示したいということでもあったのでしょうか。

 

南北朝問題は、日本にとってずっと深層にあるもののようです。

見えないところで煽られて戦争への道に踏み込まないようにするべきだと思います。

 


2020年7月 青森へ その13

2020-08-08 15:44:15 | 青森

困ったときの神頼み・・・・・

善知鳥(うとう)神社に疫病退散をお願いに。

善知鳥神社は訪れるたびにあれこれ発見があります。

今回は、お守りと鯉の餌2袋を購入。

人の気配で寄ってきたりするので鯉がお腹を空かせているのでは

と思ったせいもあります。。。。

購入時に、鳩に餌をやらないで、との注意がありました。

池には蓮の花が咲いていたりします。

餌を少しずつ撒いてみました。遠くから大きな鯉がすごい勢いでやってきて

小さな鯉ははじかれてしまうんですね。鯉というよりも鮫のような素早さです。

そのうち、鳩ではなくて小さ目の2羽のカラスが現れました。

私の顔をじっと見つめるんですが、スキがあれば手元が狙われそうな・・・・

注意されたこともあって鳥じゃなくて鯉に全部撒くことにしました。

そしたら、池の端に行って水に浮いた餌を水に濡れながら取り出して・・・

 

善知鳥は古くは烏頭であったとか。

昔の人は烏を手なずけたりしていたんでしょうか。

身近な動物たちも怒り出したりすると怖い存在だったりするのだ

と思いました。


2020年7月 青森へ その12

2020-08-07 23:50:21 | 青森

7月の2度の訪問では、友人にも会わず、食事も駅前のお店とサンドイッチなどで済ませて、空いた時間は外を歩いていました。

ホテルの部屋で海を眺める時間もけっこうありました。

ふとなんだか見たことのある船が・・・・その7に登場した出雲丸?

デジカメの望遠で撮ったんですが、スパイかなんかのつもりに。

主人の話では戦時中は広島の呉湾では写真禁止だったそうですが、陸奥湾はどうだったんでしょうね。

この道の先には善知鳥神社があります。

かつての青森の夜は賑やかだったようですが、今ではテナント募集の張り紙があちこちに。


2020年7月 青森へ その11

2020-08-07 22:50:50 | 青森

6月下旬に青森に出かけて、また7月には12日から15日までと、27日から29日までの2回出かけました。

両親が亡くなって相続税申告の手続きが迫っていたため、コロナ自粛が埼玉にまだ出ていなかったということで・・・・、

やはり、電車や新幹線では咳こんでいる人がいたりすると気になったりしました。

7月27日はまだ雲が低く、気温もまだ低かったりしました。

こうして何度も乗っていますが、遅れたり、止まったりがなくてありがたいことだと思います。

婆さんでも写真が撮れる速さがよいと思うんですけれども・・・・

コロナ禍は、人間の時間にどのような影響を与えるのか

あくせくしてもだめ、ということにならないでしょうか。