また片付けの中で、主人の書いたものを見つけました。
小原敬士編「アメリカ軍産複合体の研究」日本国際問題研究所 1971年
筆者は、
小原敬士、藤村瞬一、片岡寛光、泉昌一、斎藤 真、木村修三、清水知久(執筆順)となっています。
小原敬士先生による「はしがき」によると、1969年の春、日本国際問題研究所で「アメリカ軍産複合体」に関する専門研究部会を組織し、1年間定期的に会合をもって共同研究を行った成果であるとのこと。
小原敬士先生については こちら
「軍産複合体」のさまざまの側面について分析を行ない、それをまとめたものとしては、わが国で最初のものではないか、とあります。
主人は「軍産複合体の起源をめぐって」という題で40頁余りで論じています。
統計表を多用している部分を引用するのは難しいため、最後のまとめの部分から一部ご紹介いたします。
・このようにみていくと、アメリカ国民にとっては第2次世界大戦とはなんであったかと問われれば、まさに「繁栄であった」と答えるよりはほかにない。いいかえれば、ニューディ―ルがなしえなかったことを戦争がやりとげたのである。第1次世界大戦につづく2度目の異常な繁栄の体験は、もはや道義問題をのり越えて戦争を評価するという考え方が国民の中に、なかんずく企業家や政治家の間に浸透したのも当然のことであるといえよう。
・いったん不況が到来すればその打開策としてきわめて効果的であった軍備の拡張の道を安易に想起しがちになる。つまり産業が軍の調達によって切り抜けようとする、いわゆる軍産複合の企業マインドが経済界一般に浸透したのも、まさに第2次世界大戦の経験ゆえであり、これが国防景気の反動として急激な経済の停滞に見舞われると、発展途上国における内乱への軍事介入(朝鮮戦争あるいはヴェトナム戦争)を絶好の景気回復策として利用するようになる。
・こうしてアメリカは、戦争を準備し、連合国の兵器廠の役割を果たすことによって、たしかに不況を脱却し、それどころか異常な繁栄すら手に入れることができた。しかしその反面、みずからもっとも理想とする自由企業の精神を喪失するという高価な犠牲をも払わねばならなかった。
・過去30年間にわたって累積されてきたこのアメリカの軍産複合体制は、一時に除去してしまうことはきわめて困難な事業かもしれない。しかしアメリカはこの体質から脱却しない限り、現在世界最強を誇る経済力を次第に弱体化し、長期的には生存不能に陥ってしまうことにもなりかねない。アメリカの将来は軍産複合体との戦いにかかっているといっても過言ではない。
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この論文が書かれた1971年は、主人はまだ独身で埼玉大学非常勤講師でした。
主人の書いたものでは、もっともシャープなものとして感じられたりします。
結婚して子どもができたため、こういった表を多用して分析するようなことができなくなったのか、それとも軍産複合体に触れたりするようなことはやめようと思ったのか、聞いてみたい思いに駆られます。