椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2018年12月 青森 その7 つづき 

2018-12-30 22:22:28 | 美術館・博物館

「安門瀑布紀行」から

52枚のうち35番目

曲渕(まがりふち)を登っている図の部分です。

 39番目の図です。綱を使って登っています。

55歳といえば当時はかなり老人だったはずなのでさぞたいへんだったことでしょう。

部分です。

 

52番目、滝の探訪が終わり、ほっとして川原平村でくつろぐ様子で終わっています。

いちばん奥が平尾魯仙のようです。

 

平尾魯仙の死から15年後、ようやく宮内省への献上ができたとのこと。

遺族や弟子たちがぜひ献上したいと思うような画集だと思います。

 

時代が大きく変わるとき、何か新たな力を得たいと思った人たちがいた・・・・・

もしかしたら、この本を丹念に眺めていたらその力のおこぼれをもらうことができるかもしれません。


2018年12月 青森 その7

2018-12-27 22:22:25 | 美術館・博物館

平尾魯仙「安門瀑布紀行」平尾魯仙顕彰会 平成二十九年 という本を入手しました。

この本の巻末に、前の記事にある3つの滝の絵が掲載されています。

 
青森県図書教育用品株式会社で購入できます。→ こちら
 
 
本文より
 「安門瀑布紀行」は、最近になって宮内庁書陵部に存在が確認された画帳で、平尾魯仙の正真正銘の直筆本である。
画帳三冊(五二画)と解説書一冊からなり、「明治九年夏六月改写、六九翁平尾亮致」の奥付があり、画一,二二には宮内省図書印が押してある。
 
 この画帳は、文久二年(1862)六月一日(旧暦)、魯仙が五五歳の時に弟子の三上仙年らと共に、領内随一の佳景といわれる「暗門の滝」を見に行った際の記録である。
 弘前から徒歩で西目屋の奥、暗門の滝を写生に出掛ける三日に亘る探訪であった。滝までの道のりは約九里(35㎞余)もあり、今と違って非常に不便な所であったが、滝の全景の見える所を探しだし、三の滝、二の滝、一の滝と遂にその全景を写すことに成功した。
 
 「安門奇勝」はその写生画をもとにして、初めて見た感激を心象風景画として、一心不乱に描き、全部で四十枚の画稿に三日間でまとめあげたものである。
 
 「安門紀行」は更にそれらに、急峻な岩を藁縄(わらなわ)でよじ登る場面なども加えて、五二枚の彩色画にし、さらに紀行文を添えて完成させた。
  
 慶応元年(1865)、この「安門紀行」を京都出張の弘前藩士須藤勝五郎に託し、前関白近衛忠熈公の高覧に供した後、慶応二年、近衛家護衛のため京都に上った弟子の三上仙年が持ち帰った。その際、近衛公より和歌短冊と杯を下賜されている。
 
 魯仙は明治九年七月の明治天皇東北ご巡幸に祭し、文久二年に画いた「安門紀行」を、斎戒沐浴し改写して「安門瀑布紀行」として完成させ、天覧に供した。その際、これを献上しようとしたが果たせず、心残りのまま逝去した。それを前述の様な縁により、魯仙の外孫(三上思清、土岐安)が明治二八年に近衛篤麿公爵を通して皇室へ働きかけることによって献納が実現したと平尾家に伝えられている。
 
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平尾魯仙は国学者でもあったので万物に霊魂ありという思想を持っていたのだとか。
そのためか、気迫といったものを感じたりします。
 
また明治維新前後の津軽藩と近衛家との関係が垣間見えたりします。
 
 安門の滝が暗門の滝とされる理由について興味深い説があったりします。→ こちら
 
現在では観光用に道が整備されているようで、ネットで写真や動画がアップされています。
 
それでも、江戸末期に命がけで出かけて描いたというあれこれの絵はたいへん貴重なものとして感じられます。
 
 

2018年12月 青森 その6

2018-12-22 14:24:22 | 美術館・博物館

この企画展については 1月20日まで(休館は12月29日から1月3日まで)です。

白神山地については こちら

ブナの原生林で知られていますが、暗門滝という3つの大きな滝があるようです。→ こちら

平尾魯仙という画家の暗門滝を原画としたタペストリーが入口に掲げられていました。

人物と比べるとかなり大きい滝のようです。

平尾魯仙については こちら      大変興味深い人物で関係する本を購入申し込みをしたところです。

フォトジャーナリストといった役割があったのでしょうか。

2016年に完成した津軽ダムについては こちら

 この津軽ダム建設に伴う発掘調査を青森県埋蔵文化財センターが担当し、2003年から2015年にかけて17の遺跡で行われたのだそうです。

三内丸山遺跡では段ボール箱に換算して約4万箱に対し、約1万5千箱の遺物が出土したとのことです。

 

この企画展の関連行事として、期間中に講演会や土曜セミナー、ギャラリートークが開催されていて

この日は青森県埋蔵文化財調査センターの方による30分ほどのギャラリートークというものを聴くことができました。

大雪にも関わらず、30人以上の方たちが、発掘調査の説明などに熱心に耳を傾けていました。

 たとえば、縄文時代早期(約11、000年前~約7,000年前)

貝殻文土器は海に生息するアカガイやサルボウなどの二枚貝の先端部で文様がつけられているのだとか。

 展示図録より

 こちらは私のカメラで撮影したもので補正してもよく見えません(汗

遮光器土偶です。

 

人面付き土器です、

ごく一部だけのご紹介です。

遺跡の土層断面の標本など大きな展示やこぎん刺し刺繍の作業着などの展示もありますので、どうぞお出かけください。

 


2018年12月 青森 その5

2018-12-22 14:20:30 | 美術館・博物館

青森県立郷土館の建物についての動画を見つけました。

昭和初期の青森は景気がよかったように思えてきます。

 

高齢になってくると博物館や美術館の動画はありがたい気がします。

 

そういえば、青森銀行桜川支店が移転して空き家になっていたような・・・・・

使い道をしっかり考えないともったいないですね。


2018年12月 青森 その4

2018-12-18 12:05:00 | 美術館・博物館

時間が前後しますが、12月9日にホテル近くの青森県立郷土館に出かけました。

青森県立郷土館については こちら

11月に三内丸山遺跡に出かけて、この郷土館にも行ってみなくては、と思ったからです。

まず建物は1931年築の旧第五十九銀行青森支店であるとか。国の有形登録文化財だそうです。

今の新しいビルが薄くて安っぽく感じられてしまうほどのどっしりした建物で、装飾なども写真を撮りたくなるような・・・・・

そういえば関東大震災後に建てられたというあちこちの大学や洋館が残っていますが、しっかりしたつくりですね。

ちょうど企画展が開催されていました。

(つづく)


2018年12月 青森 その3

2018-12-14 00:03:34 | 観光

白黒写真を人工頭脳を使ってカラー化するという技術があるんだとか。

 

祖父は営林局に勤めていましたが、母は戦前の暮らしはゆったりしていた、とよく言います。

考えてみれば、写真ではわからない格差、あるいは周辺国との関係などがあったということかもしれません。

戦時中の写真もあり、照明が反射したりして撮影がうまくできませんでした。

こちらは戦争直後、進駐軍が青森市内を行進する様子です。

空襲で焼け野原になって見晴らしがきくところでないと、占領する側としては安心できない、ということがあったのかもしれません。

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天候が悪かったりするときには、デパートや商店街は便利な場所だと思います。

住んでいるところではないデパートや商店街を覗いてみると、さまざまな発見があったりします。

青森ご訪問の折には、ぜひ新町商店街にお立ち寄りください。

 

 


2018年12月 青森 その2

2018-12-12 17:20:39 | 青森

青森市新町にあるデパート さくら野青森店 5階催事場で

 アンコール展 青森まちかど歴史の庵「奏海」過去企画展

  平成30年12月11日(火)~ 17日(月)

主催 青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」の会  HPは こちら

という小さな展示会が開かれていました。

帰りの新幹線まで少し時間があったので、覗いてみました。

古い写真、地図、マッチラベルなどパネル展示されています。ごく一部だけ紹介いたします。

明治時代、堤川で水浴びをする馬とのこと。

なるほど馬には水が必要で、小手指の戦いでも川沿いに動くことになるんですね。

ワンマンカーになる前のバスの車掌さんです。子どもの頃、車掌さんごっこで母の古いハンドバックをつけて、切符なども作って遊んだことを思い出します。

合浦公園にあった八百善の釜めしはおいしかったですね。

 

子どもの頃家族で出かけた芝楽(しばらく)の天ぷらや鍋は味覚の記憶に残っている気がします。

                                  (つづく)


2018年12月 青森 その1

2018-12-11 23:01:47 | 観光

12月7日から11日まで青森に出かけてきました。

大雪が予想されていましたので、覚悟はしていましたが・・・・・

このように断続的に激しい降雪があって、日中でも車がライトをつけて徐行していました。

小さめのブルドーザーがあちこちで除雪をしていて、また雪を運ぶトラックが動いていました。

除雪作業は主として夜に行われています。

住宅街ではブルドーザーが入らないところもあって、高齢者では雪かきの作業がたいへんなのだとか。

例年だと1月の半ばあたりにこのような大雪になるのですが、前倒しの大雪、といったところなのでしょうか。

熊谷の暑さ自慢のように、青森も大雪自慢をするべきかもしれませんね。


12月4日のまち 大根おろしあれこれ

2018-12-11 22:58:51 | 青森

青森高校の前身は、旧制青森中学校と青森高等女学校です。

先輩たちがたくさんいることに感謝する思いがします。

太宰治の中学時代の親友阿部合成の妻であった阿部なをは青森高等女学校出身の先輩にあたります。

阿部なをについてはブログ「メゾフォルテからあなたへ」のタグ「阿部なを」にまとめてありますので、ご覧いただければ幸いです。

さて、料理研究家であった阿部なをが上野に「北畔(ほくはん)」というみちのく料理店を開いています。HPはこちら

このお店に長男夫婦と出かけてみました。

このお店ができたころは太宰治は亡くなっていましたが、なんとなく太宰治が好みそうなお店でした。

東北の食材を使った小鉢があれこれ出されました。

とくに、タラとタラの白子、白菜などに大根おろしをたっぷりのせた雪見なべがおいしかったです。

なお「北畔」には予約してお出かけください。

 

そういえば、青森の私の実家でも、きのこのみそ汁には大根おろしを入れて食べていました。

 また太宰治の妻美知子が、津軽ではからみ餅を食べないようだと書き残しています。

からみ餅については こちら

おそらく正月のころには、昔の青森では生の大根がなかったためではないでしょうか。

所沢に来てから初めて餅つき大会などで「からみ餅」を食べておいしいと思いました。

 

大根おろしは消化にも風邪にも効果があるといわれています。

今年は大根が安かったりしているので、ぜひたっぷりの大根おろしをどうぞ。

大根おろしはお子さんにお手伝いしてもらったりするのがいいですね。