椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

9月13日のまち 上野・寛永寺 その3

2018-09-27 12:55:52 | 歴史あれこれ

本能寺戦之図から、あれこれ検索してみたことは以下のことがらです。

・17世紀後半のオーストリア・ウィーンの宮廷では、明智光秀の息女である細川ガラシャは殉教者として名前が知られていた。→ こちら

・18世紀初めに日本で処刑されたイタリア人カトリック司祭のジョバンニ・バッティスタ・シドッティについて → こちら

・18世紀以降の蘭癖(らんぺき)について → こちら

・鎖国について → こちら

 こうしてみると、キリスト教は切り拓いてく役割をもっているかのように感じたりします。

日本の宗教にとって脅威であったとともに、鍛えられてきた有難い存在ともいえるでしょうか。

もしかしたら、時を超えて、日本には何か引き寄せる力がある、ということかもしれません。

 

 

このブログを始めるときに浮かんだ名前が「ドルチ」

シドッティが持ってきたというドルチ作の「親指の聖母」について知らないときだったのです。→ こちら

また関係記事は こちら

つまり、17世紀ウィーン宮廷にいたクラウディア・フェリチタスの肖像画とともにドルチという名前が私の頭に刻まれていたのですけれど・・・・・

 

ひょっとして、日本とは黄金の国というよりも聖母がいる国・・・・・ということがあったのかもしれません。

日本の女性たちは、ドルチによる聖母のイメージに近づく努力をする、というのはいかがでしょうか。

 


9月13日のまち 上野・寛永寺 その2

2018-09-25 01:11:03 | 歴史あれこれ

上野戦争については こちら

この上野戦争について、Wikipediaでは歌川芳盛による絵が添えられています。

この題名が本能寺合戦之図となっているのはなぜなのでしょうか。

 

 上野戦争では彰義隊討伐にアームストロング砲が使用されたとのこと。→ こちら

この絵が示すように寛永寺のような建物はやはりそう簡単には燃えないだろうから、こういった兵器がつかわれたはず。

本能寺の変についても、テレビドラマでたびたび見られるような燃え方ではなく、明智方が当時の最新兵器を使った可能性があるということではないでしょうか。

すなわち外国製の兵器が提供されたということかもしれません。

 

ただし、この絵こそ真実だ、ということはいえないのかもしれません。

スポンサーの要望によっての絵ということもある?

 

 

 

 

 


9月13日のまち 上野・寛永寺 その1

2018-09-22 00:08:09 | 歴史あれこれ

東北出身の私にとって、上野は東京の入り口でした。

青森駅発の夜行列車に乗って日本食堂でのショウガ入りの味噌汁、というのがなつかしい思い出です。

その後も上野には出かける機会がありましたが、寛永寺は初めてです。

寛永寺HPは こちら

上野の山は江戸城から見て鬼門であるとか。

家康のころの徳川家の菩提寺は増上寺であり、家光から家綱にかけて寛永寺が祈祷寺から菩提寺に変わっていったとのこと。

本堂にあたる根本中堂です。上野戦争で焼失し、その後、川越・喜多院から本地堂を移築したのだそうです。

 

 

 

 

堂内の写真は禁止でした。徳川家の菩提寺だけあって立派でした。

ろうそくを購入し、そこに願い事(いつものように心願成就)と名前を書いて奉納しました。

 

整然とした中に上野戦争とはどういうものであったのか、語り出したいような空気を感じたりします。

 


9月1日のまち 所沢市自主防災訓練 椿峰小学校

2018-09-15 18:21:54 | 防災

毎年行われている自主防災訓練に参加しました。

ここのところ、雨天続きで今年も体育館のみでの訓練となりました。

AEDの訓練です。

 

仮に勇気を持った方がいて、救急の現場で、ここで見学した程度のうろ覚えでAEDを使われるとしたら

ちょっとこわいような気もすると言ってみたりするんですが、法律上大丈夫だ、というお答えが・・・・

 

毎年行われている段ボールの仕切りづくりが今年も行われました。段ボールの一部が新しくなったとのことです。

 

高齢化とともになのか、年々下手になっていくような気もしないでもない

 

 

体育館は300人少しの収容だそうです。首都圏での災害では避難勧告や避難指示といわれても

避難できそうなところが不足しているのではないでしょうか。

私たちの椿峰ニュータウン北自治会では高齢者が多く、在宅避難を考えるしかないと思っております。

その際の支援方法(配布や伝達など)は自治体でも考えられていないようです。

 

このごろの多発する災害の状況を見ていると、私たちも災害時にきめ細かく手順などを決めておいても無駄になりそうな気もします。

 

今のところは、近隣の自治会の方たちともお話しする機会をつくっておき、いざとなれば「文殊の知恵」

あるいは「火事場の○○力」が発揮できるようにしておくことが大事ではないでしょうか。

 

椿峰ニュータウンの皆様、どうぞよろしくお願いいたします。


まちのパン屋さんのお引越し

2018-09-15 17:35:06 | 椿峰ニュータウン

椿峰ニュータウンのおいしいパン屋さん「イングランド・ストリート」が

椿峰小学校向かいにお引越しをしました。  

我が家からは前のお店と同じぐらいの距離にあって ラッキー 

 

前のお店も通り過ぎてしまうような造りでしたが、今度のお店も・・・・・

豆パンや黒糖パンがおススメです。

っていうか、ついついたくさん買ってしまうお店ですので、ダイエット中の方はお気を付け下さいませ。

 

これからのお店は、ちょっと入りにくそうな雰囲気の方がよかったりするのかもしれません。

あ、何も日本の国のことを言いたいわけでは・・・・・


2018年9月 災害情報

2018-09-06 17:52:30 | 防災

災害情報について役立ちそうなものを集めてみたいと思います。

NHK NEWS WEB  →  こちら

北海道新聞 ニュース →  こちら

マイクロソフトニュース 被災地のみなさまへ、北海道地震サポート情報まとめ → こちら

札幌クリップ → こちら

広島県 防災Web → こちら

 

 

 

 

内閣府、各省庁、各自治体の情報発信のスピード、サイトの在り方に熱意+工夫を

お願い申し上げます。


2018年8月 青森 → 大宮

2018-09-04 13:28:19 | 日本を元気に

お天気に恵まれた5日間でした。

水田の緑というものはきれいですね。これこそが平和の風景として感じられたりします。

 

山の稜線というものも美しく感じられます。

 

 

福島付近です。

 

新幹線の隣の席に6か月だという赤ちゃんが☆  観察力がばっちり、という感じです。

この子が成人となるころには、女性が無理なく活躍する社会となっているのではないでしょうか。

(ブログ掲載についてはお許しをいただいております。健やかなご成長をお祈りいたします。)

 

新幹線が便利になっても、若いときとは違って往復はけっこう心身とも疲れます。

とりわけ、涼しい青森から暑い大宮へではどうなることか、と思いましたが、大丈夫でした。

順応力というものは標準装備となっているのかもしれませんね

高齢者が元気でいるためには、プチ贅沢(ホテル、食事、タクシーなど)が効果的かもしれません。


2018年8月 青森 その4

2018-09-04 00:11:30 | 高齢化社会

母は辛うじて歩けますので、弟の車に乗ってお墓参りに行ったりレストランで食事をができます。

今回は青森国際ホテルにあるレストランで洋食のランチを食べることにしました。→ こちら

大きめのお皿にシチュー、ステーキなど4種類の柔らかい肉料理が少しずつ盛りつけられているものを選びました。

これは女性や高齢者にはありがたいものでおいしかったです。青森はメニューにも創意工夫といったものがあります。

91歳の母は肉料理が好きで高齢者はかなりタンパク質を摂ったほうがよさそうに思います。

そのランチの後、母がユニクロに行きたいというのですが、青森では郊外にあって休日は駐車場がいっぱいだとのこと。

別の店にしようと説得しても行きたいと言い張って・・・・ 

少し離れたところで弟に待ってもらって、一緒にユニクロに入ってあちこち探しましたが以前と違って若向きのものばかりでした。

いわゆるバブル時代の記憶を多く持った母は、食品にしても衣料品にしても満足できなかったりします。

 

実用的で高齢者向きの少し高価格帯のもの、というものはけっこう需要がありそうです。

汚してしまうことが多いので、洗濯のきくゆったりしたサイズのもの、がよさそうです。

 


2018年8月 青森 その3

2018-09-01 17:50:38 | 青森

青森市の桜川団地は2つの川に挟まれた地域です。

 50年ほど前、私が高校生のころ、水害になったことがありました。我が家は床下浸水程度で済みましたけれど。

その後、堤防の工事がされたりして水害がありませんでした。

 

歩道が比較的広いため、流・融雪溝が設けられています。青森市の流・融雪溝については こちら

 

都市によって必要なものは違っていて、青森では雪の厳しさというものを感じます。

そのぶん青森の水は自慢だったりします。