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椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2024年10月 奈良 その6

2025-02-07 00:25:16 | 歴史あれこれ
10月15日 ホテルのエレベーターで外国人の女性と一緒になり、思い切ってどちらから?と聞いてみました。スペインとのことで、「トレド!」と反射的に言ってしまいました。「あなたはスペインのトレドに行ったことがあるんですね」と言われて・・・ まったく英語の会話と無縁になっていてうなずくことしか。💦💦
高校時代の修学旅行でも似たようなことがあって
そのときはスイスから、という女性2人の方たちでした。
どちらにしても私にとっては出身地が予想外に感じられたりしました。

近鉄奈良駅から大和西大寺駅へ。

「安倍晋三」はひょっとして西大寺の由来に着目した?
西大寺に行ってみればよかったのかな
と帰ってから考えたのですが、この日は平城京跡へ向かいました。
連休明けで誰もいない・・・広い空間を独り占め ( *´艸`)





所沢にも通じる空気を感じたのはなぜだったのか。
近くに東京・国分寺があるのだから当然なのかもしれないけれど・・・・

平城京の工事に関東から多くの人々が連れてこられたなどと
想像してしまったから?

あるいは、大きな噴火や地震があって、それから避難するために
大勢の人間が関東から移動した?

2024年10月 奈良 その5

2025-02-02 11:23:47 | 歴史あれこれ
中国へ行くことを考えていた芥川龍之介が猿沢池を前に何を考えたのか・・・・
地図を前にあれこれ考えてみました。
明治時代から大正時代にかけて、大逆事件は大きな問題を投げかけたようです。

猿沢池は春日大社、率川神社を結んだ線上にあったりします。
またその線の延長上には垂仁天皇といわれる陵墓があります。
平城京をつくるのにたいへんな労力と時間をかけたわりには
あっさりと平安京へと移ったのはなぜなのか・・・・

藤原氏が日本を動かしていると示すために?
藤原氏は藤氏として唐出身であることを表明しているので
(真偽はともかく)この猿沢池(焼き討ちでも残る)とご陵で目に見える形で残そうとした?
などと考えてしまいました。




なるほどこういう哲学的な防衛の方法もあるのか・・・・

あ、これは大ぼらの類ですが、奈良時代の女性たちが
得意分野であったように感じられます。

垂仁天皇陵は卑弥呼もしくはそれに匹敵し、藤原氏につながる大王
のものなのかもしれない、と思ってしまいました。

奈良盆地が一望できるお寺「白毫寺」|奈良観光コンシェルジュが奈良市のお寺をご紹介:Byakugoji-Temple in Nara City|Nara

2025-01-23 19:03:43 | 歴史あれこれ
猿沢池についてあれこれ調べたりすると
真偽はべつとして興味深いことがあったりしました。

奈良盆地が一望できるお寺「白毫寺」|奈良観光コンシェルジュが奈良市のお寺をご紹介:Byakugoji-Temple in Nara City|Nara

白毫寺については森鴎外が1918(大正7)年11月に訪れていて
「奈良五十首」にその歌があります。
森鴎外と芥川龍之介は、当時の激動の予感といったものと8世紀の奈良を重ねていた、ということがいえるかと思います。

今もまた、8世紀の奈良が身近に感じられたりします。

2024年10月 奈良 その4

2025-01-11 00:19:01 | 歴史あれこれ
古い町並みと猿沢池です。


興福寺五重塔は修理中のようです。

帰宅してから調べたら、猿沢池を舞台にして芥川龍之介が「龍」という作品
を書いているとのこと。(『中央公論』大正8(1919)年5月)
芥川龍之介は大正6(1917)年4月に養父道章と京都・奈良へ旅行に出かけ、奈良には1日だけの日程であったとか。
この猿沢池のどこかに立ったのではないでしょうか。

作品「龍」はあまり評価されなかったとのこと。
評判の良かった「鼻」(『新思潮』大正5(1916)年)に重なる部分があったりしたから?
「龍」が昇る話を書いたことによって、本人はその気がなくても読者は作者が自分を龍神としていると感じてしまったからなのでは?

【拾い物】追悼 ミシェル・ルグラン シェルブールの雨傘 壮大編曲ver (Michel Legrand - Les Parapluies de Cherbourg)

2024-07-08 10:00:03 | 歴史あれこれ
【拾い物】追悼 ミシェル・ルグラン シェルブールの雨傘 壮大編曲ver (Michel Legrand - Les Parapluies de Cherbourg)

どこかにも書いてきましたが、私がこの動画にこだわっているのには理由があります。
主人は女子大で国際関係学概論という講義を受け持っていて、夏休みにはよく一人で海外に出かけて、戦場とか国際会議の開かれた場所などを見に行っておりました。
シェルブールで購入したという折り畳み傘を土産に買ってきてくれました。すてきな色合いで黒のエナメルの袋に入ったものでした。

後になって、シェルブールはノルマンディの海岸に近いところだったということを知りました。主人はノルマンディの戦いの場所に立って考えたのだと思います。私は数学を専攻していたので、その当時は近代史についてはまったくわからず、説明してもわからないと思ったに違いありません。

あれこれ調べるようになって、日本国憲法に関わったユダヤ系アメリカ人のチャールズ・L・ケーディスがこのノルマンディの作戦に参加していたことを知りました。
ケーディスの愛人とされる鳥尾多江がその話を書き遺しています。
オハマビーチではなくもう少し南のイタリアよりの浜辺であったとか。その時の壮絶な激戦の様子を鳥尾多江とその子どもたちによく語っていたそうです。
以下は
鳥尾多江「私の足音が聞こえる マダム鳥尾の回想」 文藝春秋 1985年
より
「僕は戦いが始まりそうだな、という予感がすると背中じゅうが痒くなる。そして犬のように大地に背中をこすりつける。気が静まるまでそうやっていた。そしてそれはいつも当っていた。」
「部隊が待機している処に砲弾が打ちこまれる。初めは前後の遠い場所に落ちだんだん近くなる。そんな時、僕は鏡をぶら下げてのんきそうに髭を剃るんだ。部下を恐がらせないために、鎮めておくためにそれが一番良かった」

ユダヤ系アメリカ人だった。その彼がヨーロッパ戦線で、ユダヤ人殺しの現状を、まざまざとみせつけられたのだから、どんなに悲しかったか口惜しかったかわかる。彼は従軍カメラマンとして彼の部隊についていた人に貰った写真を、三冊の部厚いアルバムに貼っていた。それをアメリカから取りよせ、私達に見せてくれた。

彼はその苦しかった事、悲しかった事、すべてを忘れて暖かい平和にひたりたかったのだと思う。そして新しい日本に理想と夢をいだいていたに違いない。

18:15~ 【内海聡】 応援弁士 小田原市議会議員 城戸さわこ 街頭演説 2024/7/3 田町駅芝浦口 #うつみさとる #うつみん#東京都知事選 #内海聡

2024-07-03 19:52:26 | 歴史あれこれ
18:15~ 【内海聡】 応援弁士 小田原市議会議員 城戸さわこ 街頭演説 2024/7/3 田町駅芝浦口 #うつみさとる #うつみん#東京都知事選 #内海聡

組織票で政治がおかしくなってしまったのかもしれません。
またスポンサー付きでは、どこかで忖度が働いてしまうと思います。

政治を変えるのは、地道な努力が必要なんでしょうね。

人生を変えた軍事クーデター、チリ弾圧の歴史を描く/映画『夢のアンデス』予告編

2024-06-29 13:00:49 | 歴史あれこれ
人生を変えた軍事クーデター、チリ弾圧の歴史を描く/映画『夢のアンデス』予告編

1973年に起きたチリ・クーデターについて知っておくべきことのように思います。

三島由紀夫事件は1970年、このころにベトナム戦争が起きていて
しかし大学生であった私は何も知らずに過ごしておりました。

よくわからないまま過激な行動をするのは考えものですが、若い人たちは何が起きていてその影響はどうなるのか、を観察し考えておく必要があると思います。

彩の国から その3

2023-12-24 01:35:40 | 歴史あれこれ

このレストランに隣接して、ハーブとバラの「三富 月の原ガーデン」が広がっていました。

三富は「さんとめ」と読みます。

川越藩主柳沢吉保によって開拓が奨励されたこの地は、やはり日本の農業にヒントがたくさんあるように思われます。

柳沢吉保は武田遺臣の家系であるとのことで、日本の隠れた一面を持っているといえるのでしょうか。

冬に咲こうとするバラに元気をもらうこともあるんですね。

どうぞ「柳沢吉保」の検索をお願いいたします。