展示コーナー⑨ 青森市の発展と景観
この歴史館には展望室がありました。風がけっこう強い日で曇りがちでもあったので思うような写真が撮れなかったんですが・・・・
えっ、出雲丸が?
青森は・・・・・ねぶただけじゃないところです。
展示コーナー⑨ 青森市の発展と景観
この歴史館には展望室がありました。風がけっこう強い日で曇りがちでもあったので思うような写真が撮れなかったんですが・・・・
えっ、出雲丸が?
青森は・・・・・ねぶただけじゃないところです。
展示コーナー⑩ 着物の世界
厳しい土地柄で、麻糸を紡ぎ、織るのは、自分たちのためであって、ほかの地方の高級な織物産業のようなことにはならなかったのだ・・・機織り機をみてあらためて思いました。
麻では寒く、刺し子で少しでも暖かくしようとした、ということもあったことでしょう。
なんとか工夫をして暮らしに必要なものを作り出すことができなければ、生き延びることはできなかったということかもしれません。
機織り機です。
糸をつむぐ機具です。
こぎんは忍耐力と正確さが必要そうです。
そのほかにも古い着物が集められていました。
アイヌの衣装があって、力強さというものを感じました。この衣装については青森でつくられた、というわけではないのでしょうが
アイヌ文化圏が青森に広がっていた時期はけっこうあったはず。暮らしの技術力というものが高かったのではないでしょうか。
縄文土器やこぎん刺しをみていると、ヒトが文様にこだわり、作り出す楽しみがあったのか夢中になっていたのが伝わってきます。
針というものは貴重であった? 時代によっても場所によっても針の材質は違っていたのではないでしょうか。
災害などで不足するものがあったときに、何かで間に合わせるアイデアというものは、昔の人たちの知恵を頭の引き出しに入れておく、といったことが大事のような気がします。
また、新しいものを作り出すときのひらめきもまた、そういった引き出しが役に立つのではないかと思います。
展示コーナー③ 昔の生活用具・昔の農業の様子より
興味を持ったのは昔の雨具・防寒具である蓑(みの)です。蓑については こちら
普段用と晴れ着用が展示されていました。昔の人は器用さが大事だったんですね。
④近現代の青森 ~明治から昭和の時代~ より
兵士の装備はかなり倹約されていたんでしょうか。
階級章が展示されていて、軍隊というものは階級が大事ということのようです。
②津軽海峡沿岸のムダマハギ型漁船と漁業
たくさんのイソ船が展示されていました。歴史館HPから こちら
ムダマハギ型というのは秋田県能代市以北にみられるということで、青森はかつては北海道の文化圏であった?
というか融合文化の集積場所ということになったんでしょうか。(アイデア豊富なところの理由というか)
つなぎ合わせるという意味の「接(は)ぐ」技術が、紙や布でも貴重だと思っておりましたが
イソ船をつくるときにもとは・・・・
現代人は万が一にすべてを失ったとき、一気に縄文時代に戻ることになる?
こちらは海草のコンブなどをねじり切る道具のようです。
展示コーナー① 青森の歴史 から
青森の縄文遺跡には、三内丸山遺跡のほかに、青森小牧野遺跡というものがあるとか。
→ こちら
室町時代の浪岡城も気になるところです。
いろいろな時代に落人だったり流刑にあったりした人たちが住んでいた・・・・
青森に誇り高い芸術家が多かったりするのは・・・・・そのせいかもしれません。
少し空いた時間があったので、あおもり北のまほろば歴史館に出かけました。
①青森の歴史 ~縄文時代から近代の歩み
②津軽海峡沿岸のムダマハギ型漁船と漁業
③昔の生活用具・昔の農業の様子
④近現代の青森 ~明治から昭和の時代~
⑤商いと看板
⑥青森市名誉市民・青森市ゆかりの人々
⑦「道具」から「機械」へ・手ぬぐいの型紙で巡る青森のお店
⑧着物の世界(こぎん刺し着物、菱刺し着物、裂織着物など)
⑨青森市の発展と景観
ここまで、下書きのつもりが公開されていて・・・・
次の記事につなげます
長屋門の奥に武蔵国分寺跡資料館がありました。
銅造観世音菩薩立像です。可愛らしい感じです。
武蔵国分寺の軒先瓦が創建期と再建期では違うんだとか。
瓦の郡の刻印が俺たちが一番、と主張しているような。
武蔵国分寺は郡に競い合わせて造ったのかもしれません。
模様や刻印を見ていると元気が出るのはなぜなんでしょうか。
まず国指定重要文化財である「風見鶏の館」へ。
住人であったゴットフリート・トーマスの一家、設計者ゲオルグ・デ・ラランデそれぞれに物語がありました。
風見鶏の館について こちら
神戸だけにドアが気になったりします。
(つづく)
こちらは、常設展の鎌倉・室町時代の展示物です。
青磁や白磁などがあって、この持ち主たちは想像していたよりも優雅な時間を過ごしていたのかもしれません。
方丈記によれば、平安時代から鎌倉時代にかけて、京の都は荒れ果てた時期があったようです。
東北ではあれこれ戦いがあったにしろ、敵味方でお茶、ということもあったのかもしれませんね。
東北は豊かであったのだ、と思えてきます。
青森県立郷土館の常設展で、まだ見ていないところを見学してみました。
古代から近代までかなり多くの展示物があり、丁寧に見学すると3日ぐらいかかるかもしれません。
思いがけないものに遭遇しました。スナイドル銃です。スナイドル銃とは こちら
海外でも日本でも多くの人間を殺傷してきた?のか古びた中に凄みを感じたりします。
青森は厳しい土地柄であった、と思い出させる供養塔です。
厳しい土地であった青森では、人々が必死で祈る場面が多かったはず。
子供を失った嘆きが感じられたりします。
添えられた写真にある十字架から、もしかしたら隠れキリシタンが青森にも?