主人は20代から30代にかけて新聞社に勤めていて、編集部に配属になって夜勤があり、ウィスキーで眠るという習慣がついてしまったようです。
50代前半あたりで糖尿病となり、お酒はウィスキーから日本酒、焼酎のお湯割り、ビールと弱いものへと変わっていきましたが、やめることはできませんでした。
私の父がほとんど飲まなかったため、主人の飲み過ぎが気になってときどきケンカをしておりました。
定年後に大腸がんで開腹の手術や盲腸の手術、あるいは肺炎などで入院を繰り返し、また糖尿病の治療のための入院もしましたが、食事のたびに缶ビールを飲むのは止められませんでした。
あるとき、飲み過ぎて家の中で転んで頭を強く打って、2か月ほどして急性の認知症のような症状が出ました。
名前が書けず、歩けなくなりました。
それ以前に、実家の父が車で正面衝突事故を起こしたのちに硬膜下血腫になったということがあって、
主人の症状を硬膜下血腫だと考えて、2か月ほど前に頭を打ったことを話しました。
やはり硬膜下血腫であることが検査で分かり、すぐ手術してもらったところ快癒しました。
それにも関わらず飲み過ぎたりして強く注意することになり、一時期家庭内別居みたいなことにもなりました。
何か気に入らないことがあると家でも外でも怒鳴ったりすることがありました。
アルコールのせいなのか、年齢のせいなのかよくわかりませんでしたが。
ずっと糖尿病の薬を飲んでいましたが、血糖値が薬を飲まなくても変化がないことがわかったといって通院をやめてしまいました。
2年ぐらいは病院に行かないときがあり、デイケアで運動をしてもらうための介護保険申請で「かかりつけ医」をどうするかがたいへんでした。
若いころは多くの友人がいたようですが、定年後は一人旅にでかけたりして人と付き合わなくなりました。
ときどき息子たちが帰ってきて話をするのが楽しみだったようですが、就職については心配をしていました。
高齢になると短所は治らず、よりひどくなると聞いていてどうなることかと思いましたが・・・・・
寝たきりで半年の寿命とのことで、私もボランティア活動をやめて在宅介護に踏み切りました。
入浴サービスと在宅医療、在宅看護のおかげで、主人は穏やかになりました。
だいぶ痒みに悩まされたりして、罰があたったと自分でいったりしておりました。
主人には申し訳ありませんが、反面教師になってもらうことにしました。
高齢者問題について多くのヒントが残してくれたような気がしております。
独り暮らしの高齢男性の介護が増えるのなら、介護者の立場になるとアルコールはかなりの制限をする必要があると思います。災害避難所でもその必要がいわれております。
・医師の厳しい指導
・地域での夜の宴会ではなくアルコール抜きの話し合い、
・アルコールにかわる無害な飲料の開発
・夜間の地域の子どもたちの見守りや学習指導などのボランテイア活動
といったことなどが考えられます。
たとえば、暴走気味の老人の方には、何か講師をお願いするとか?
老人心理の研究を介護に十分活かすなどして、高度の介護のプロの育成といったことが大事ではないでしょうか。
梅雨到来でアジサイが張り切っている感じがします。